〈90歳で死去〉「啓介さ~ん」認知症の妻・大山のぶ代が闘病中の夫・砂川啓介の病室で声を掛けた

〈90歳で死去〉「啓介さ~ん」認知症の妻・大山のぶ代が闘病中の夫・砂川啓介の病室で声を掛けた

大山のぶ代さんが9月29日に90歳で老衰のため亡くなったことがわかった。

おしどり夫婦として知られた大山さんと砂川啓介さん。砂川さんは2017年に亡くなったが、その時、認知症が進行していた大山さんはどのような反応を見せたのか。

長年のマネジャーである小林明子氏が語る。

砂川さんが亡くなった際、大山さんは砂川さんの棺に涙ぐんだという。二人は長年、互いを支え合ってきた。砂川さんが体調を崩す前は、大山さんが料理を得意とし、砂川さんに教えたという。しかし、砂川さんの料理の腕が上達し、板長さん並みになった。二人は共著で料理本も出版している。

砂川さんは亭主関白で、大山さんは常に砂川さんを立てていた。砂川さんがライブをやるときには、大山さんが友人に声をかけてチケットの手配をしていた。

砂川さんの著書によると、あるパーティーで芸能レポーターが「大山さんがドラえもんでしっかり稼いでくれるから、左団扇でしょ?」と述べた際、砂川さんは内心で腹を立てたが、苦笑いでごまかした。その後、大山さんがスピーチで「砂川家の家計は、すべて啓介さんのお給料でまかなっている」と述べて、レポーターにやんわりと反論したという。

二人は1964年の東京オリンピックの年に結婚し、53年間を共に過ごした。生まれたばかりの娘さんを亡くした後は子どもがいなかったため、お互いに支え合って生きてきた。

砂川さんが尿管がんを発症し、抗がん剤と放射線治療を受けるようになった。大山さんは在宅介護が難しくなり、施設に入居した。砂川さんは1年3カ月にわたって治療を続けたが、体力が落ち、治療を先延ばしするようになった。

2017年6月13日、小林さんが自宅で倒れている砂川さんを見つけた。砂川さんは意識を失っていたが、酸素を吸うことで反応を示した。その後、病室で大山さんが「啓介さ~ん」と声をかけると、砂川さんは目を開いたが、ほとんど話さなかった。

大山さんは砂川さんの病状を理解し、「大丈夫?」や「頑張ってー」と声をかけていた。しかし、病室を出た途端、忘れてしまうこともあった。入院中は、二人の会話はほとんどなかった。

大山のぶ代さんと砂川啓介さんは、長年にわたって互いを支え合い、深い絆で結ばれていた。