水野晃樹、21年間のプロキャリアに終止符、今季限りで現役引退

水野晃樹、21年間のプロキャリアに終止符、今季限りで現役引退

水野晃樹、今季限りでの現役引退を発表

いわてグルージャ盛岡は29日、元日本代表MF水野晃樹(39)の現役引退を発表した。水野は静岡県出身で、清水商業高校からジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド千葉)でプロ入り。その後、中村俊輔も所属していたセルティックへと移籍し、ヨーロッパでプレーした。

2010年に柏レイソルに加入し、Jリーグに復帰。以降はヴァンフォーレ甲府、ジェフユナイテッド千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原と数多くのクラブを渡り歩き、2023年から岩手でプレーしていた。岩手では2シーズンを過ごし、J3通算19試合、リーグカップ1試合、天皇杯3試合に出場。通算ではJ1で157試合16得点、J2通算32試合1得点、J3通算29試合、リーグカップ通算41試合出場、天皇杯通算21試合2得点を記録している。

また、イビチャ・オシム監督の下で日本代表も経験し、4試合に出場していた。

水野晃樹の引退コメント

水野はクラブを通じて以下のコメントを発表した。


日頃から応援してくれているみなさんに報告があります。2024シーズンでプロサッカー選手、水野晃樹は引退することを決断いたしました。

3歳から地元清水のサッカーチームでサッカーを始め、小学2年生の時にJリーグが開幕して以来、将来の夢は!目標は!『Jリーガー』。どんなに苦しくても、どんなに挫折しても、血反吐を吐いてぶっ倒れても、この夢は一瞬たりともブレることはなく、必死に追い続けてきました。そこからジェフユナイテッド市原、セルティック、柏レイソル、ヴァンフォーレ甲府、ジェフユナイテッド千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原、そして社会人を経て、いわてグルージャ盛岡。正直、こんないろんなチームに行くとは思っていなかったです(笑)。しかし、どのチームでも素敵な出会いがあり、素晴らしいクラブであり、どのチームも愛しています。どんな時でも背中を押してくれるサポーター、時には厳しい叱咤激励。どれもが愛を感じました。

ありがたいことに、世代別代表、A代表でもプレーさせてもらい、海外も経験しました。そして国内ではジェフ時代にジェフにとっての初タイトル、ナビスコ杯優勝。翌年にはナビスコ杯連覇。みんなのおかげでMVPも受賞できました。セルティックではリーグ優勝、スコティッシュ杯優勝。レイソルではJ2優勝&昇格、翌年J1優勝。翌年天皇杯優勝。SC相模原ではJ3昇格。あの最高の光景を忘れることはできませんし、あの光景をまた見たいと常に思っていました。

タイトルはたくさん取らせていただきましたが、どれも満足するような活躍はできませんでした。ただ、周りの方々に恵まれたと思います。でも21年間は長いようだけど、今となってはあっという間に感じます。サッカーが本当に大好きで、負けず嫌いな子供。『サッカー小僧』。水野晃樹という選手をよく知っている人は、この言葉がよく似合うと思ってくれていると思います。39歳になった今でもサッカーが大好きで、試合に出れなければ悔しくて仕方ありません。プロ1年目の時はよく泣いていて、『泣き虫小僧』とも言われていました。でも、そのくらい毎日が勝負で、毎試合が人生を左右する仕事でした。

膝の手術5回、契約満了6回。紆余曲折、波乱万丈、忙しなく過ぎていった21年間、活躍できたのは4.5年だけかな?でも諦めず努力すれば必ず道は開ける!21年間に後悔はないと言ったら嘘になるけど、本当に憧れていたものから憧れられる存在になれたこと、そしてたくさんの人にサッカーの素晴らしさを伝えられていたら幸いです。

サポーターの方々にはたくさん期待を裏切ってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。再起を信じてどこに行っても応援してくれるサポーターの方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。その恩返しはプレーでと何度も言っていたにも関わらず、なかなか結果が出せない自分に苛立ちを何度も何度も覚えました。

決して裕福な家庭ではなかったけど、サッカーを続けさせてくれた両親。ありがとうございました。親父は野球をやらせたかったみたいだけど(笑)、でも、両親の厳しさ、いろんなものへチャレンジすること、努力することを学びました。プロ生活で少しは親孝行できたかな?

そして1番迷惑をかけ続けた家族。わがままで気分屋で引越しばかりで大変だったと思う。けど、文句も言わず常についてきてくれて理解してくれた。転校で友達と離れ離れになってばかりで悲しい思いをさせてきた。その上、スパルタで口うるさいクソ親父で大変だと思う。今、伝わらなくてもわからなくても、大人になって、わかってもらえたら嬉しい。

プロ生活2年目から一緒にいる妻は本当に大変だったと思う。アスリートの栄養管理、家事育児と仕事がたくさん。そしてたくさんケンカしてたくさん泣かして困らせ続けた。それでも1番サッカーを応援してくれて、数年前から考えていた引退も「続けたら?」「もっと見たい」と背中を押し続けてくれた。

いわてグルージャ盛岡に来てからは単身赴任でワンオペ。日々大変で苦労と迷惑ばかりかけてすまん。常にサッカーに集中できる環境を作ってくれてありがとう。

チームが苦境の中で個人的なリリース申し訳ありません。どうしても自分が好きな『29』で発表したかったので、どうか許して下さい。

しかし可能性が低くても1%の可能性がある限り、絶対に諦めません。最後の最後まで自分を信じて、仲間を信じて、チームを信じて戦い切ります!

これからもオシムチルドレンとして、上を見てチャレンジすることを忘れず、このサッカー界に関わり続けたいと思います。今まで関わった全ての人に感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございました!!

Jリーグありがとう!サッカーありがとう!21年間MIZUNOのスパイクもありがとう!みんなありがとう!

これからも『サッカー小僧』水野晃樹をよろしくお願いします。