尾崎世界観のスワローズ愛:青木宣親の引退と、彼が築いた野球との絆

尾崎世界観のスワローズ愛:青木宣親の引退と、彼が築いた野球との絆

愛するチームで更なる伝説を築いてきたミスタースワローズ・青木宣親が、今季限りでユニフォームを脱ぐ。球団を代表するレジェンドの引退を、ファンはどのように受け止めているのか。ここでは、熱烈なヤクルトスワローズ愛好者として知られ、対話集『青木世界観』で青木宣親と本音を交わしたミュージシャン・作家の尾崎世界観の熱烈なスワローズ愛に迫る。

尾崎世界観は、スワローズの魅力について「本当に何なんでしょう。もうずっと見ているので、逆に何なのかこちらが聞きたくなるほどです」と語る。シーズン中は大体3時過ぎになると誰が(二軍から)昇格するか、5時半になると今日のスタメンが気になるという。しかし、負けた時はニュースも何も見ない。そのため、最近はあまり見ていないと笑う。それでも、スワローズは彼の1日の流れを決めるものでもある。

尾崎のスワローズへの愛着は、1992年に始まった。その年にスワローズが優勝し、西武との日本シリーズで杉浦享が代打サヨナラ満塁ホームランを打ったシーンが鮮烈に記憶に残っている。1993年のシリーズ第7戦は平日で、学校の先生がテレビをつけてクラス全員で見たことを覚えている。授業が終わっても試合が続いており、下校途中に商店街の電気屋のテレビで見て、それでも決着がつかなかった。家に帰ってテレビをつけ、日本一の瞬間を見た。高津臣吾現監督と古田敦也さんが抱き合った場面も強く印象に残っている。

当時の日本シリーズはデーゲームで、1993年のシリーズ第7戦は平日だった。学校の先生がテレビをつけて「今日の授業は特別にこれにする」と言ってクラス全員で見たことを覚えている。授業が終わっても試合が続いており、下校途中に商店街の電気屋のテレビで見て、それでも決着がつかなかった。家に帰ってテレビをつけ、日本一の瞬間を見た。高津臣吾現監督と古田敦也さんが抱き合った場面も強く印象に残っている。

神宮球場にも通っていた尾崎は、ファンクラブに入って10回観戦したら賞品がもらえるという企画に参加し、小学生の時、初めて10回を超えてドキドキしながら会員証を提出した。賞品はボールペンだったと笑う。

小学生の頃は飯田哲也を応援していた。また、助っ人外国人選手が好きで、レックス・ハドラーやミミズを食べるというエピソードもあった。スワローズは音楽より先に夢中になったものだ。

忘れられない試合としては、初めて行った試合が原辰徳がバットを投げた試合(1992年7月5日、ヤクルト対巨人戦)や、夜中の11時半や12時近くまで試合が長引いた時に、深夜まで起きてラジオを聴いていた記憶が強く残っている。1992年9月11日の阪神対ヤクルト戦では、八木裕のホームラン判定が覆って長引いた試合もあった。

ラジオ中継を聴くのが好きで、ニッポン放送ショウアップナイターの試合経過を伝えるチャイムを聞きながら、開け放したベランダから生ぬるい風が入ってくる夏の記憶がある。子どもの頃からラジオ中継を聴きながら試合を想像していたことが、創作に役立っている面もある。

今年は厳しいシーズンだったが、毎年どんなに良くても悪くても、2月になればまたリセットされる。野球には様々な楽しみ方があり、勝てなくても苦しいシーズンでも、勝ち負けを超えたところでみんなが応援したり、歓声を挙げる瞬間が必ずある。青木選手の引退試合もそうなるはずで、その時、自分がどんな気持ちになるのかはまだ想像がつかない。しかし、きっと今まで感じたことがない感覚になると思う。そのことが、創作に大きな影響を与えてくれると信じている。