原千晶: 2度のがんと結婚、そして新たな人生への挑戦
2度のがんを乗り越えた原千晶の人生と結婚
1974年、北海道生まれの原千晶は、94年に「クラリオンガール」に選ばれ、芸能界デビューを果たした。その後、タレントや俳優として活躍し、多くの人々に愛される存在となった。しかし、彼女の人生は決して平坦なものではなかった。
30歳の時に子宮頸がんを発症した原千晶は、子宮の摘出を勧められたが、出産への強い思いからこれを拒否した。しかし、35歳の時にがんが再発し、子宮を全摘出することを余儀なくされた。この時、彼女は自らの病気を公表し、1歳上のテレビプロデューサーとの結婚を発表した。
2度目の闘病と結婚
2009年末に2度目のがんが発覚した時、原千晶はすでに現在の夫と3年ほど交際していた。当初、2人は「そろそろ結婚しようか」と話し合っていたが、がんの発覚により、翌年の正月に夫の実家に挨拶に行く予定も取りやめとなった。
2度目のがんになった時、原千晶は自分の病気によって周りの人々を巻き込んでしまったことを深く悔やんでいた。特に、夫の両親に子どもが産めないという現実を背負わせることになることが、非常に辛かった。しかし、夫は彼女に「そんなことは1つも考えなくていいから。とにかく元気になろうよ。親父もお袋も説得するし、何にも心配しなくていいから」と励ましてくれた。
夫は1歳年上で、テレビの制作会社のプロデューサーだった。ドラマの現場で出会った2人は、年齢が近かったこともあり、すぐに仲良くなった。原千晶は夫のことを「なんかいい人だな」と思い、自然と交際するようになった。夫は普段おとなしく、自己表現が少ない人だったが、がんの治療中も毎日病院に見舞いに来てくれた。
感情の起伏と友人の励まし
がんの治療中、原千晶は髪が抜け、体重が増加し、機嫌が悪くなるなど、大変な時期を過ごした。しかし、夫は彼女の変化に一切動じることなく、常に支えてくれた。ある時、原千晶は夫に「花を1輪持ってくるとか、ケーキを買ってくるとか……ないのかな」と冗談めかして言ったが、夫は「そんなつもりなかった」と答えた。友人にこの話をしたところ、「なんて素敵なんだ」と言われ、原千晶は夫の素晴らしい人柄に気づいた。
子どもができないことへの葛藤
子宮を失った2010年頃、芸能界では「ママ友ムーブ」が流行っていた。多くのタレントが赤ちゃんを産んで、その様子をブログでアップしていた。原千晶は、自分も仕事を頑張ればいいと思っていたが、この流れに逆風を感じ、仕事まで失うのではないかと落ち込んだ。
この時期、原千晶は本やネットで「子どものいない人生」について調べる日々が続いた。同じように子どもがいない友人が、「私も一時期悩んだ」と声をかけてくれた。その友人は、母親の介護をしながら、「私にとって、今、母が私の娘みたいな存在。私を産んで育ててくれたお母さんが、今度私の娘になってくれて、私に母親業のようなことをやらせてくれている」と語った。
友人の言葉に励まされた原千晶は、気持ちが楽になったが、街でベビーカーを押すお母さんと赤ちゃんを見ると、胸が苦しくなることがあった。情報番組に出演する際も、出産のニュースがあると、「おめでとうございます」と笑顔で言わなければならなかったが、一時は少し悲しい気持ちになった。
心の整理と新たな人生
子どもができないことへの葛藤から脱するのには、10年近くかかった。原千晶は、自分の中で何度も何度も思いを咀嚼し、「もう本当に産めないんだ」「もう終わり」と受け入れることができた。46、47歳の頃には、気持ちのモヤモヤが晴れ、以前の感情は全く湧いてこなくなった。
最近、原千晶は移住したことも大きな転機となった。それまでは、自分の病気について向き合うことや、がんの啓蒙活動に全力で取り組んでいたが、コロナの影響で活動が休止になり、一時的に頑張りすぎることをやめた。すると、ふっと肩の力が抜けた瞬間があった。
原千晶は釣りにハマり、夜中でも釣りに出かけることが増えた。この経験を通じて、何かが弾けたような感覚があった。1年前からは、「ちゃんとやらなきゃ」と目が覚め、自分なりに頑張っている。現在は講演会などの仕事がメインとなり、全国各地を回っている。その先々で釣りを楽しむことも多い。
今後の展望
俳優やタレントとして、芸能の仕事も継続している原千晶は、チャンスがあればお母さん役を演じてみたいと語る。子どもと向き合う経験がどのようなものか、友達から聞く程度しか知らない彼女にとって、仕事を通じて子育てを追体験できる機会は魅力的だ。
結び
原千晶の人生は、2度のがんとの闘いと、夫との結婚、そして子どもができないことへの葛藤を経て、新たな道を歩み始めている。彼女の経験は、多くの人々に希望と勇気を与え、人生の困難を乗り越えるためのメッセージとなっている。
明日配信の第5回では、原千晶が高校時代に受けたいじめ体験を語る。