登坂絵莉:挫折から金メダルへ、レスリングの旅

登坂絵莉:挫折から金メダルへ、レスリングの旅

登坂絵莉のレスリング人生

小学校時代の出会い

登坂絵莉がレスリングと出会ったのは、小学校3年生の時だった。彼女の父親は国体優勝の経験を持つレスリング愛好家で、4歳上の兄にレスリングを始めさせようと教室に連れて行った。その日、絵莉も一緒に行き、「先輩たちがバック転をやっているのがカッコよくて」、自然とレスリングに興味を持ち始めた。「その年にすぐ全国小学生大会に出て負けたのが悔しくて」と、真剣に取り組む気になった。

中学時代の成長

中学に入ると、絵莉は強いクラブの門をたたいた。2004年アテネ五輪で女子レスリングが採用され、吉田沙保里、伊調馨が金メダルを獲得したことをきっかけに、彼女はさらに熱心に練習に取り組むようになった。「沙保里さんの攻撃的なレスリングに憧れました。人と同じことをやったのでは勝てない、中学では昼休みに腕立て50回やってから遊びに行くとか(笑)」と、彼女は当時を振り返る。

中学3年生の時に、絵莉は全中優勝を果たした。高校進学については東京か名古屋かで迷ったが、父親の勧めに従って名古屋の至学館高校に進学することに決めた。

高校時代の苦悩と成長

至学館高校に進学した絵莉は、当初、栄監督に誘われたつもりだったが、実際には声をかけられることはなかった。至学館の道場には、高校の先輩、大学生、卒業生など、同じ階級だけで10人以上自分より強い選手がいた。「私がいちばん小さかったし、オリンピックなんて無理だ、3年間やるだけやってやめようと決めました」と、彼女は当時の心境を語る。

しかし、チームの温かい雰囲気と先輩たちの優しさが彼女を支えた。「至学館のチームの雰囲気がすごく明るくて、毎日笑いがあって楽しかったんです。練習は厳しかったけど、先輩たちがみんな想像以上に優しかった」と、絵莉は当時のチームについて語る。

大学時代の転機

大学1年の夏から秋にかけて、絵莉に大きな変化が起きた。2012年の世界選手権で、小原日登美さんがロンドン五輪で引退し、ライバルの入江ゆきさんが体調不良で代表の座が絵莉に回ってきた。「最大の転機は、12年の世界選手権でした」と、彼女は語る。

大先輩の吉田沙保里と1年下の川井梨紗子と共にカナダに向かった絵莉は、「沙保里さんが、『3人部屋にしようよ』と誘ってくれて、ほとんど話すこともできなかった沙保里さんに親しくしてもらった。一緒に食事に出かけて、ホテルの危険なほど激しい流れるプールで遊んで。すごくかわいがってもらった。優しくて強い、沙保里さんのような人になりたいと思った……」と、当時の経験を振り返る。

その世界選手権で絵莉は期待を上回る活躍を見せた。ベラルーシのカラジンスカヤとの決勝は2対2のまま終盤にもつれこみ、一度は絵莉の優勝が宣言されたが、相手の抗議が認められ2位に終わった。「あれは2位でよかった。あの悔しさで人が変わったように練習し始めました」と、彼女は当時の心境を語る。

練習の強化

朝練に誰よりも先に出て、体幹を鍛えた。授業の空き時間はジムに通って筋トレ。夕方のチーム練習後、夜10時の門限ぎりぎりまで道場で個人練習を重ねた。「沙保里さんに、『世界選手権で一緒に優勝するよ。リオで一緒に金メダルを取るよ』と言ってもらった。それが励みになりました」と、彼女は語る。

監督の栄和人は、絵莉の練習量について次のように振り返る。「絵莉の練習量はすごかった。沙保里も馨(伊調)も時間内で集中するタイプ。絵莉は周りが『ケガをしないか』と心配するほど、練習を重ねて強くなった」

世界選手権で得た最大の成果は、「世界と自分の距離がはっきり見えたこと」だった。「いちばんの違いはパワー。でもパワーでは世界に勝てないから」、足りない技術に磨きをかけた。「片足タックルは得意だから、足は取れる。でも反撃を受ける。ポイントを奪うまでが課題でした」

それから栄監督の熱心な指導が始まった。「初めて栄監督に教えてもらいました。高校時代は、私のことなんて目に入っていなかったと思います」。片足を取ってからの崩し方、バックを取る技術を徹底して教えられた。「栄監督は基本的なことしか教えません。その代わり、できなければできるまで付き合ってくれる。普通なら見放されるところを、できるまでやらされました。しつこさがすごいんです」

リオ五輪での逆転劇

世界選手権を3連覇して迎えた2016年リオ五輪。決勝の相手は前年の世界選手権決勝で終了直前にようやく逆転勝ちした因縁のライバル、スタドニック(アゼルバイジャン)だった。「序盤から攻めていくつもりでした。ところが思った以上にスタドニックの気持ちが強くて、まったく攻められませんでした」と、絵莉は当時の試合を振り返る。

1対2で終盤を迎えた。「最後に時計を見た時、残り45秒でした。『世界選手権3連覇してオリンピックは銀か』、一瞬そう思った。でもすぐ自分の方が有利だと思った。相手は逃げるか攻めるかで迷う。疲れもある。私には攻めるしか選択肢がない。そこからはもう何も覚えていません」

残り13秒、スタドニックの右足を取ると磨き抜いた崩しの技でマットに這わせバックを奪った。残り5秒の逆転劇だった。日の丸を持って大喜びする栄監督を肩車して絵莉はマットを駆けた。栄に後で言われた。「梨紗子も沙羅(土性)も入ってきた時に金メダルが見えた。お前はそれが見えなかった。よくやったな」

名将にも見抜けなかった才能を、絵莉自身が開花させた瞬間だった。

結語

登坂絵莉のレスリング人生は、挫折と成長の連続だった。彼女の努力と献身、そして周囲の支えが、彼女を世界の頂点に導いた。彼女の経験は、夢を追い続けることの大切さを教えてくれる。