パリパラリンピックで2冠達成!上地結衣選手の感動の勝利とその背景
パリパラリンピック車いすテニスで2冠を達成した上地結衣選手
パリパラリンピックの車いすテニスで、上地結衣選手(かみじ ゆい)がシングルスとダブルスの2冠に輝いた。この偉業を成し遂げた上地選手は、パリオリンピックスペシャルキャスターを務めた石川佳純さんと対面し、その喜びを分かち合った。
石川佳純さんとの交流
石川佳純さんは、「おめでとうございます!」と声をかけ、花束を贈呈した。上地選手は、「どうぞ!」と獲得した2つの金メダルを差し出した。石川さんは金メダルを手に取り、「うわぁ、重いですね!しかも金ですね!」と感嘆の声を上げた。
実は、上地選手と石川さんには10年近い交流がある。石川さんは、「知り合ってから結構長いですよね」と語り、上地選手は「はい。かすみのK、かみじのK。私たちはチームKですよね」と笑顔で応えた。
上地結衣選手の競技経歴
上地選手が競技を始めたのは11歳の時。すぐに数々の国際大会で結果を残し、20歳で史上最年少の年間グランドスラムを達成した。しかし、2012年、2016年、2021年のパラリンピックでは、金メダルを独占してきたオランダ勢が立ちはだかり、12年間一度も頂点に立てずにいた。
石川さんは、「卓球で言えば、中国に勝てないようなものだと思うんです。何度対戦してもなかなか勝てないなという気持ちになりませんでしたか?」と尋ねた。上地選手は、「東京パラリンピック前後の数年間で、何かを自分自身でも変えたいなと思いました。それでも結果が出なくて、自分が向かっていっている方向が合っているのか間違っているのかも分かりませんでした」と語った。
上地選手は、「そういった時期が長かったので、このまま勝てずに競技生活を終えることになるかなとも思いました。苦悩の日々でした」と振り返った。
国枝慎吾選手との出会い
上地選手を救ったのは、レジェンドの存在だった。国枝慎吾(くにえだ・しんご)選手は、グランドスラムで歴代最多50回の優勝を誇り、パラリンピックでも4つの金メダルを獲得した選手だ。
上地選手は、「国枝さんが引退された1ヶ月後に、“自分とテニスしてもらえませんか?”とお願いしました。王者としてのヒントを得られたらいいなという気持ちでした。現役の頃よりも連絡を取る頻度が増えて、一番に連絡したいなと思ったのが国枝さんになっていきました。この1年はすごくサポートしていただきました」と語った。
国枝選手から学んだのは、技術だけではなく、試合に向き合う姿勢や車いすの改造にも取り組むなど、出来ることを全て見つめ直すことだった。
パリ大会での活躍
パリ大会本番でも、国枝選手からの金言が上地選手を支えた。「コートが本当に広いので、下がろうと思えばいくらでも下がれるんですが、そうすると相手に準備する時間を与えてしまうので“絶対に下がらないでおこう”という国枝さんの言葉を劣勢になればなるほど思い出しました。“下がっちゃダメ下がっちゃダメ”と思ってプレーができていました」と上地選手は語った。
気持ちの上でも「下がらず、前に前に」を意識して試合を勝ち進むと、日本女子初の金メダルがかかったシングルス決勝に進出した。ここでも、国枝選手の陰のサポートがあったという。
上地選手は、「解説席に座って下さっていたので、最後の数ゲームは毎ポイント国枝さんの方を見ていたんですが、絶対に目をそらさずに頷いて下さっていました。私はあまり目が良くないんですが、その動きや表情がすごくクリアに見えて、とてもパワーを頂きました」と語った。
石川さんは、「国枝さんが何度か解説が止まるときがあったんですね。そのときは多分、上地選手とアイコンタクトしていた時だったんですね」と解説した。
金メダル獲得の喜び
レジェンドとの固い絆で、上地選手はパラリンピック出場4度目にして、ついに金メダルをつかみ取った。「障がいを持って生まれてからの人生で、自分が金メダルを取るのにふさわしい選手になるためには長い時間が必要でした。その時間が自分が必要な人に会うための時間だったと思うので、すごく回り道をしたり難しい時間もあったりしたんですけど、それがなければここに到達できなかったと思います。自分に出会ってくれたすべての方に感謝したいです」と上地選手は語った。
未来への展望
全ての経験と出会いに感謝し、上地結衣選手はこれからも歩みを続ける。取材を終え、チームKの石川さんが感じたことは、「諦めずにチャレンジしてきたというのは印象深かったですし、いろんなことに試行錯誤してこの2冠をつかんだんだなと感じました。4年後、また楽しみにしたいと思いました」と語った。
上地結衣選手の活躍は、多くの人々に希望と勇気を与え、車いすテニスの発展に大きく貢献している。今後も、彼女の挑戦が続くことを期待したい。