「コビー・ブライアントの若き日の力強さに、レイカーズの名守備マンも圧倒<DUNKSHOOT>」

「コビー・ブライアントの若き日の力強さに、レイカーズの名守備マンも圧倒<DUNKSHOOT>」

クーパーは現役時代、守備の名手として知られていたが、19歳のコビー・ブライアントには歯が立たなかったと振り返っている。コビーは1996年のドラフト13位でNBA入りし、ロサンゼルス・レイカーズのレジェンドとなった。

2000年から2002年までシャキール・オニールとのコンビで3連覇を達成。シャック退団後もエースとして活躍し、2005-06シーズンには平均35.4点、2006-07シーズンには平均31.6点を記録し、2年連続得点王に輝いた。さらに2009年と2010年にはパウ・ガソルとのコンビで2連覇を達成し、自身も2年連続でファイナルMVPを獲得した。

20年間のキャリアで1346試合に出場し、3万3643得点を記録。NBA75周年記念チームにも選出され、2020年にバスケットボール殿堂入りが発表された。

クーパーはレイカーズで5度の優勝を経験し、1987年には最優秀守備選手賞を受賞。今年の殿堂入りが決まっているレジェンドだ。彼はバイロン・スコットのポッドキャスト『Byron Scott’s Fast Break』で、若き日のコビーとの印象的な出来事を語った。

「彼は私を打ち負かした。でも、覚えておいてほしいのは、私は40歳で、19歳の若者と対戦したんだ。ジェリー・ウエストがコビーに『そのスポットに行け』と指示し、私の役割はそのスポットから彼を遠ざけることだった。コビーの体力とその場所に行ける能力には感心した。彼は常にシュートを決めていたわけではないが、それがNBAのユニークなプレーヤーであること、偉大な選手であることには必要なんだ」

コビーはオールディフェンシブ1stチームに9回、2ndチームに3回選出され、スコアラーとしてだけでなく、ディフェンダーとしても名を馳せた。クーパーは、コビーに成し遂げてほしかったことがあったと明かす。

「コビーは一度だけ、私にどうやってディフェンスをすればいいのかと尋ねてきた。私はフットワークの練習をしていたからそれを伝えた。良いディフェンダーになるには、意志が必要だ。コビーにはディフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー(最優秀守備選手賞)を受賞してほしかった。コビーにはそれができるだけの力があった。マイケル・ジョーダンはそれをやり遂げ、それ以上のことをやってのけた。コビーほどの攻撃力があれば、ディフェンスのことは考えない。でも、コビーがどんどん上達していくのを見るのが楽しかったね」

ディフェンス名手クーパーの目から見ても、コビーの攻守のポテンシャルは群を抜いていたようだ。