天龍源一郎、地元凱旋とジャンボ鶴田初勝利の記憶:「ミスター」への道

天龍源一郎、地元凱旋とジャンボ鶴田初勝利の記憶:「ミスター」への道

天龍源一郎が9月22日に大日本プロレスの福井・勝山大会に登場し、約32年ぶりに故郷のリングに上がった。1992年5月18日以来の地元凱旋で、ファンから大歓声と「天龍コール」を浴びた。

32年前の1992年、天龍はSWSの北陸ツアーに参加していたが、翌19日には谷津嘉章らによるクーデターが起こり、団体は6月19日の長崎大会を最後に解散した。この時期、天龍にとってSWSは最大のライバルであるジャンボ鶴田のような大物日本人が少なかった。

5年前の1987年、全日本プロレス時代の天龍は最も燃え上がっていた時期だった。盟友の阿修羅原と天龍革命を起こし、鶴田や輪島大士を相手に、従来の常識を覆す激しいプロレスを展開。鶴田とのシングル戦は「鶴龍対決」と呼ばれ、天龍は「第3の男」から一気にトップを目指す存在へと転じた。

1987年8月31日、日本武道館で約4年4か月ぶりのシングル戦が行われ、天龍は激闘の末、リングアウト勝ちを収めた。鶴田との実力は互角で、2人の決意が伝わる試合となった。鶴田のコブラツイストや延髄斬り、張り手に対し、天龍はジャーマンやパワーボムで対抗。ジャンピングニーの自爆を誘い、鶴田の右ヒザを痛めつけて逆片エビ固めで攻めた。限界まで反り上げて絞り上げ、バックドロップも耐え抜いた。場外戦では、天龍は本部席にニークラッシャー、エプロンに上がってきた鶴田に延髄斬りからラリアートを放ち、相打ちとなった。天龍はリング内に吹っ飛び、鶴田の右足はロープにからまった。リングに戻ろうともがいたが、レフェリーのカウントが数えられ、天龍は勝利を収めた。

ノンタイトル戦のリングアウト勝ちだったが、これが鶴田戦シングル初勝利で、東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」ベストバウトを獲得。天龍は「腕の1本や2本折れてもいいと思った。あのジャンボの余裕をなくさせてやったのは痛快だったね。まだ物足りなかったけどな」と述懐している。その後、2人の戦いは3冠戦へと舞台を移し、90年の退団まで激しい戦いを展開。天龍は92年にWARを旗揚げし、マット界を縦横無尽に疾走し、ミスタープロレスとして不動の地位を築いた。