水木しげると松本零士:娘たちが明かす巨匠の日常と影響

水木しげると松本零士:娘たちが明かす巨匠の日常と影響

漫画やアニメで今も親しまれる『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるさんと、『銀河鉄道999』の作者、松本零士さんの娘たちが、父親の素顔について語った。

原口尚子さん(水木しげるさんの娘)と松本摩紀子さん(松本零士さんの娘)は、共に父親が亡くなった後、それぞれのプロダクションの代表を務めている。二人は、父親の影響と、その重圧から逃れたいと思っていた過去を振り返った。

原口さんは、摩紀子さんと会うとホッとすると言った。「同じ感覚で話せるから話しやすい」と語る。摩紀子さんは、子供の頃は親から離れていたかったと打ち明けた。「松本零士の娘」と呼ばれることに苦労していたという。原口さんも、絵を描くのが好きだったが、「お父さんが漫画家だからうまいんだね」と言われるのが嫌で、父とは切り離して自分のことを見てほしかったと話す。

二人は、父親の仕事を手伝うことに至るまでの道のりも語った。原口さんは、40歳頃に父が弱ってきたことをきっかけに、水木プロダクションに入ることを決意した。小学校の教員を辞めて、水木プロダクションに入社した。一方、摩紀子さんは大学を卒業後、一度は興行関係の会社に就職したが、家の事情で会社を辞め、アシスタントの賄いを担当することになった。

漫画家の家庭では、アシスタントのサポートも重要な役割だった。原口さんは、アシスタントが多かった時期には、母が週に2、3回夕食を作っていたと話す。特に具だくさんの餃子が人気だったという。摩紀子さんも、アシスタントの食事の世話をしていたが、バランスを考えた献立を作るのは大変だったと振り返る。

父親が常に家にいる日常についても語った。原口さんは、子供の頃、「お父さんは朝お勤めに行って、夜帰ってくる」と友達から聞いた時に驚いたと話す。締め切り前は仕事部屋に入ることは許されなかったが、摩紀子さんは仕事部屋に入り込んで、床でおままごとをしていたこともあるという。しかし、仕事中に話しかけるのはNGで、「うるさい。マキ、寝ろ!」が父の口癖だったと笑いながら語る。

二人は、父親の作品についても語った。原口さんは、摩紀子さんに初めて会った時に、松本零士さんのファンだと告白し、中学生の頃に買った「戦場まんがシリーズ」や『男おいどん』を紹介した。摩紀子さんは、父が漫画やアニメを通じて、多くの子供たちに宇宙への興味を持たせたことを誇らしげに語った。

最後に、二人は父親の影響について語り、それぞれの道を歩む中で、父親の偉大さを再認識したと話した。