《『古畑任三郎』再放送》田村正和さんの弟・田村亮が語る兄の晩年と現在の活動
田村正和さんの代表作『古畑任三郎』シリーズが6月にフジテレビで再放送され、亡くなって3年が経っても人気は衰えていない。田村正和さんの弟で俳優の田村亮さんは、正和さんが亡くなった年齢を超えて、現在も現役で活動を続けている。
田村亮さんは、最近の活動や生活、そして兄たちとの思い出について語った。正和さんのドラマ『古畑任三郎』の再放送について、「先日再放送された正和兄貴のドラマ『古畑任三郎』は拝見しました。高廣兄貴の作品も放送されたら見ますし、2人が存命中も見ていました」と述べた。彼は録画を見るのは好きではなく、その日の新聞を見て放送日を確認し、家にいれば見る程度だという。
兄弟で互いの作品について語り合ったことはないが、『古畑任三郎』を見ながら、正和兄貴が「どう演じようかな」「それまでにない自分を出そう」と一生懸命考えているのが感じられたと話す。特に、ラスト5分の犯人のトリックを解き明かすシーンは見どころで、三谷幸喜さんの作品だけあって、正和兄貴の力が入っているのがわかったと述べた。正和兄貴は亡くなった後も、多くの人に作品を楽しんでもらえることを幸せに思っているという。
田村亮さんは、高廣兄貴と正和兄貴が77歳で亡くなったことを思い出し、77歳で何か起こるのではないかと1年間ヒヤヒヤしていた。しかし、5月で78歳になり、77歳を超えたことで「生き延びた」とほっとしている。正和兄貴は晩年は「もうやりきった」と表に出ることは少なかったが、田村亮さんはまだ体力があればできると思っている。
現在、田村亮さんはNHKのBS時代劇『大岡越前7』で松平左近将監を演じている。また、10月には京都の南座で藤山直美さんの錦秋喜劇特別公演『太夫さん』に出演する。この作品は2回目の出演で、お茶屋の主の役を演じる。『大岡越前7』も2~5月に京都で撮影されたため、年に数回は京都へ行っている。田村亮さんは、生まれて小学校1年生の途中まで京都で育ったため、京都を「地元」と感じている。
京都の二尊院には田村家のお墓があり、京都へ行った際にはお墓参りもしている。父は江戸っ子で、お墓は日本橋浜町にあったが、仕事で東京と京都を行ったり来たりして、昭和18年に両親を京都に呼び寄せ、お墓も移した。墓には両親や高廣兄貴だけでなく、先祖代々の小さな骨壺がたくさん収められている。田村亮さんは、海に散骨されるのが良いと思っている。海なら、ハワイや欧州からでも手を合わせてもらえるからだ。
今年の春には、映画『宮古島物語ふたたヴィラ かんかりゃの願い』の撮影で沖縄の宮古島へ行った。これは去年公開された映画『宮古島物語ふたたヴィラ』の第3弾だ。田村亮さんは、忙しいように見えるが、実際は暇していると笑う。家でジッとしていられない性格なので、撮影で各地に出かけられるのは楽しいそうだ。
毎朝4時30分に起きて、5時に散歩に出かけるのが日課だ。30分ほど歩いた先にベンチがあり、ベンチの背に手をかけて腕立て伏せやストレッチを20~30分して、また歩いて帰ってくる。これは身体がなまらないように意識している。ただし、毎日ではなく、気分で行っている。
スキーやゴルフも好きで、若い頃から続けている。ゴルフのスコアについては聞かないようにと笑う。妻がライバルで、最近はハーフを回ると疲れ果ててお風呂に入り、そのまま寝てしまうそうだ。何事もほどほどが良いと話す。
運動は観るのも好きで、中高時代にバスケットボールをやっていて、高校時代はインターハイに出場したほど熱心だった。今もバスケットボール、野球、ゴルフ、陸上、相撲など、何でも好きだ。息子が子供の頃は、1988年のソウル五輪からバルセロナ、アトランタ、シドニーと、家族3人で現地へ飛び観戦していた。息子は独立しているため、パリ五輪は自宅で観る予定だ。時差があるため、夜8時頃からウトウトしてしまうことが多い。
撮影のときも、夜8時、9時になると眠くなってしまう。他の俳優さんから「おい、早くしないと、亮ちゃんが寝るぞ」と言われることもあるが、他の人も本音では早く帰りたいと思っているようだ。早寝早起きは若い頃からで、母親が明治生まれで厳格な人だったため、昼頃に起きて家でグダグダするような生活は許されなかった。
田村亮さんは、母親が43歳のときに生まれた末っ子で、厳しくも可愛がられた。兄たちは順々に独立して家を出て行ったため、最後に残った彼が母親と暮らしていた。結婚した妻も母親と同居し、彼が舞台で1カ月や2カ月家を空けると、妻が母親と食事を一緒にしてくれたことを感謝している。
(第2回に続く)