黒沢清監督と菅田将暉の対談:『Cloud クラウド』の舞台裏と役作り
黒沢清監督と菅田将暉の対談
国内外で高い評価を受けている黒沢清監督が、菅田将暉を主演に迎えた『Cloud クラウド』がついに公開となった。本作は、ネット社会に広がる見えない悪意と隣り合わせの現代社会の恐怖を描いたサスペンススリラーで、古川琴音、奥平大兼、岡山天音、荒川良々、窪田正孝ら豪華キャストが集結。先日行われたヴェネチア国際映画祭でのワールドプレミアでは、世界中の映画ファンから熱狂的に受け入れられ、第97回アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表作品にも決定するなど、快進撃を続けている。
『Cloud クラウド』の舞台裏
MOVIE WALKER PRESSでは、本作の公開を記念して、黒沢清監督のインタビュー連載を展開中だ。第3回は、本作のオフィシャルライターも務めたSYOが聞き手を務めた、菅田将暉との対談を掲載。黒沢監督が菅田に注目したきっかけから、菅田が「警報」と称する黒沢組のムードまで、たっぷり語り合ってもらった。
主人公・吉井の設定
「生活を変えたい」という想いから、世間から忌み嫌われる“転売ヤー”を副業として、日々まじめに働く主人公の吉井(菅田将暉)。ある日、勤務するクリーニング工場を辞職した吉井は、郊外の湖畔に事務所兼自宅を借り、恋人である秋子(古川琴音)との新たな生活をスタートする。転売業を軌道に乗せていく吉井だったが、彼の知らない間にバラまいた憎悪の粒はネット社会の闇を吸収し成長。“集団狂気”へとエスカレートしてしまう。
菅田将暉の役作り
「演者としてここからどうしようか」と考えていた時に黒沢さんからオファーをいただき、手を差し伸べられたような感覚がありました」(菅田)
黒沢監督はもともと菅田さんのファンで、「ミステリと言う勿れ」もドラマと映画を制覇していると伺いました。菅田さんに注目されたきっかけはなんだったのでしょうか。
黒沢「やはり『共喰い』が鮮烈でした。近作では、『鎌倉殿の13人』での源義経もすてきでした」
菅田「大河ドラマもご覧になるんですね」
黒沢「意外と観るんです(笑)。1、2話くらいは観ておかないとなと思って観始めるとハマってしまい、やめられなくなってしまうこともあります」
菅田さんは黒沢監督のどんな作品がお気に入りですか?
菅田「『CURE』のイメージが一番強いです。昔から俳優の先輩方が皆『黒沢組に出たい』とおっしゃっていて、黒沢作品ならではの“怖さ”に染まることを待ち望んでいる感覚がありました。個人的にもどう定義すればいいかはわからないのですが…、黒沢さんの作るジャンルがすごく好きです。特に日本映画ではなかなか見られない世界観ですよね。わかりやすい“ザ・ホラー”でもなければ、サスペンス的な怖さやスリラー的な要素もあり、人が起こすアクションもあって、かつ不条理な進行をしていく映画は希少ですから、いち観客として非常にタイプです」
『Cloud クラウド』の企画
本作は、2018年3月に最初のプロットが出来上がったと伺っています。出発点になったアイデア等々、教えてください。
黒沢「企画が立ち上がってから何度か変更があったため正確に申し上げられるかどうかはわかりませんが、『散歩する侵略者』のプロデューサーに次は本格的なアクションをやりたいと僕が申し出たのが始まりでした。日本ではなかなか成立しづらいけれども、アメリカ映画に近いようなものを目指したのですが、そう簡単に原作は見つからない。じゃあなにかオリジナルの物語を考えましょうということで脚本を作っていった――という流れになります。
時代設定を現代にした時、すぐ思いつくのは警察やヤクザといったいかにもアクションをしそうな人たちがドンパチやる物語かと思います。でも僕はそれじゃあつまらないなと感じ、まったくもって普通の人、現代社会を生きていておよそ暴力沙汰と縁がないような人たちが最終的には殺すか殺されるかののっぴきならない状況を引き起こしてしまう物語にしようと考えました。それから様々なアイデアが出ましたが、一つ大きなヒントになったのは実際に起こった事件です。まったく知らない他人同士がインターネット上で連絡を取り合い、ターゲットとなる人物を殺害してしまったものですが、『無名の者たちが集まるからこそバレないだろう』という短絡的な発想でゲームのように人を殺してしまうことがあるのか、とその恐ろしさに衝撃を受けると同時に、現代社会ならではの凶暴性を感じました。
その事件を具体的にどう、というよりも『インターネットを通じた殺意のエスカレート』をうまく活用すれば、『暴力と無関係な人たちがのっぴきならない殺し合いにまで発展してしまう物語』ができるかもしれない、と思いつき、具体的な脚本作りに入っていきました」
菅田将暉の役作り
そうした「殺意がエスカレートしていく」過程において、まじめに転売業に勤しむことで悪意を集めてしまう男が、菅田さんの演じた吉井です。
黒沢「脚本を書いている時は、主人公はそこまで複雑で特殊なキャラクターとはまったく思っておらず、まじめで一途に、着々と自分の目標を達成する悪者というくらいでした。『悪者』という言い方はちょっと極端かもしれませんが、殺人といったような犯罪ではなくて、人をうまく言いくるめて、安く買って高く売る、まあちょっとした詐欺のような仕事を一生懸命にやっている男という設定で書いていきました。
菅田さんのような個性的な方がこの役をやってくれたら一番いいんだよなとは思いつつ、まさか引き受けてくれるとは思っていなかったので、快諾いただいた際には小躍りするほどうれしかったです。ただ菅田さんは引き受けてくれたものの『どういうキャラクターなんでしょう』と当初戸惑われたようだったので、撮影に入る前に1時間ほどお話をしてクリアにしていきました」
吉井の役作り
吉井の役作りにおいて、菅田さんが黒沢監督に相談した際にアラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』を勧められたと伺いました。
菅田「『可能であれば、一度黒沢さんと2人でお話しする機会をいただけませんか』とご相談して、せっかくだからトークテーマに1本映画あればうれしい、とお伝えしたら黒沢さんが『「太陽がいっぱい」を観たことはありますか』と提案してくださったんです。そこで観賞したうえで、お会いしに行きました。
吉井とはもちろん全部が一緒なわけではありませんが、『まじめに悪事を働く』感じが通じるように思いました。それが笑えるし怖さもあるし、カッコよくて色気もあり、いつの間にか見入ってしまっていたんです。アラン・ドロン自身の魅力が1番かとは思いますが、不思議な気持ちよさが観賞後の感覚として強く残りました。『Cloud クラウド』は『どういう人物にしなきゃ』をことさら考える作品でもないかなとは思いつつも、演じていくなかでブレそうになった時の軸として、『淡々と目の前の物事に集中していった結果、巻き込まれてしまう』という指針になってくれました」
黒沢監督のリクエスト
黒沢監督は、菅田さんに役作りにおいてどのようなリクエストをされましたか?
黒沢「細かい説明などは特にしませんでしたが、無精ひげを生やしてほしい、ということはお伝えしました。これは単純に、二枚目の男が無精ひげを生やしている姿を僕が好きなだけなのですが、日本人においてはひげを生やした風貌が、映える人とそうではない人がはっきり分かれるように思います。菅田さんの場合は過去の作品も拝見していましたし、いい雰囲気になる予感がしてお願いしました。あとは、前髪を上げてほしいと伝えました。これは菅田さんに限らず、若い男優の方って前髪を下ろす傾向にありますよね。それが悪いわけではありませんが、皆さん個性的なのに眉や額の形がまったくわからないのはもったいないと常々思っていたので、『今回は可能な限り眉や額を出したいです』とご相談しました」
撮影現場の雰囲気
そのほか、撮影前にお2人で話されたことはありましたか?
黒沢「ほとんどなかったように思います。というのも、やってみないとわからないから」
菅田「そりゃそうですよね」
黒沢「俳優の方はいろいろと疑問があるかとは思いますが、僕が『ごめんなさい、聞かれてもわからないので答えようがありません。まずはやってみましょう』という感じなのです。僕がなにか隠しているなんてことはまったくなく、実際に撮っていくなかで、僕自身もようやくわかってくることがたくさんあるのです」
撮影の進行
菅田さんのクランクインはクリーニング工場のシーンからと伺いました。
菅田「工場の外でバイクを停めるシーンでした。初日は思いのほかバイクに手こずったイメージしかありませんが、同時に『始まったな』という想いはありました」
黒沢「映画を撮っているとよく『撮影現場はどうでしたか』と聞かれるのですが、本当に申し訳ないことに、あんまりおもしろいエピソードがありません。なにかトラブルが起こったりしたらおもしろおかしく話せるのですが、大したトラブルもなく順調に進んでいきました。今回も準備をしっかりして、優秀な方々がてきぱきと仕事をして、気持ちよく終わったのですが――大抵そう言うと『本当になにもないんですか』と不満に思われてしまってまずいな…と思います(笑)」
撮影の特徴
菅田「変におもしろくしないといけないこともないですしね」
黒沢「本来それが理想ですしね。恐らく、僕の作品に参加してくれた俳優もスタッフも、撮影現場の印象はほぼ記憶に残らないのではないでしょうか。するすると進んで終わってしまいますから。まったく悪いことではないのですが、あとから聞かれたときに披露できるエピソードがないのです」
菅田「ただ、動きのつけ方は特徴的だと感じました。映画の現場だと、まず気持ちの話をされることのほうが多い気がします。『こういう心情なので、こういうことをしたいです。じゃあどう動きましょうか』という流れでセッションが始まるのがベーシックだという感覚がありますが、黒沢組は『この瞬間にここにこういう形で入れますか』という相談から始まったため、新鮮でした」
撮影の独特な動き
確かに、動線は独特ですね。村岡(窪田正孝)の事務所で吉井と話すシーンなど、カメラの視界を身体で遮断するような動きがあってぞわっとさせられました。
黒沢「それはいわゆる『段取り』というやつで、一応僕が指示しないと撮影が進まないものですから『じっと立っていてほしい』とか『照明やカメラの都合で、ここまで動いてほしい』とか言っているだけです。僕が心情演出をあまりしないのは、人間の気持ちを操作するのが難しいからです。俳優の方々も人間ですから、自然に生まれてくる感情があって然るべきですし、シーンによっては『ここで怖がってくれ、喜んでくれ』という物語上必要なものもなくはないのですが、それ以外はこっちが縛るものでもないなという想いがありまして。脚本にも『こういう気持ち』とはほとんど書いていませんが、俳優の方が実際に演じていくなかで生まれるものが正解だと思っているため、こちらから『こんな気持ちになってください』とはよほどのことがないと言えません。僕自身もわかりませんから」
菅田「僕としては、そちらのほうがやりやすいです。天邪鬼といいますか照れちゃうところがあるので、気持ちを先に言われると『わかってるから言わないで…』となってしまうことも正直あります。一つの感情だけで動くこと自体、実生活でそんなにないようにも思うんです。特に黒沢さんの作品だと『喜びいっぱいの気持ちだけで走っている』といったようなものもありませんから、非常にしっくり来ました。そのなかで違和感のある動きを提示されると『とりあえずやってみよう』とワクワクするんです。そしてやってみると意外に『こういうことなんだな』と感じ始めて、そんなことを考えている間に撮影が終わっているような現場でした」
撮影の自然発生性
観ている側からすると、冒頭から異様な雰囲気に包まれますが、自然発生的な部分もあったのですね。
黒沢「映画ってどうもそういうものなんですよね。カメラマンのねらいもあれば俳優の精神状態、撮っている場所のコンディションなどが映ってきて、ある瞬間に『あっこうなるんだ』と見えるといいますか」
菅田「雪が降ったのはおもしろかったです。予定外でしたが、黒沢さんはそれをスッと取り入れていました」
黒沢「ああいう予期せぬ出来事は大好物です。普通は『映像の“つながり”的に使えないから止むのを待とう』という発想になるかと思いますが、長年培った“経験”がありますので、雪はOKと知っています(笑)。ですから嬉々として撮りに行きました」
脚本と撮影のプロセス
となると、菅田さんのなかで脚本→撮影→仕上げといったプロセスを踏んでいくなかで人物やシーン、作品のイメージがどんどん変わっていくようなところもあったのでしょうか。
菅田「どちらかというと、イメージをあまりしなかったというのが本音です。『やりながらわかっていった』と言いながら、わかったかどうかも未だにわかっていない、ただOKは出たという感じでした」
撮影現場の雰囲気
吉井が感情をあらわにする姿は、序盤の商品が売れたシーンなど、極力絞られている印象を受けました。
菅田「あとは、勤務先の社長の滝本(荒川良々)が訪ねてくるシーンくらいですよね。吉井って意外と、喋っていないシーンが多いんです。そのため、緊張感といいますか空間をピリッとさせるようにする必要はあるな、とは思っていました」
黒沢「そのあたりは僕はなにも言っておらず、菅田さんの計算と才能の両方によるものです。脚本にも特になんの指示も書いていませんが、絶妙な感情がわかる見事な塩梅でした。一切無表情でやれなくもないでしょうし、派手な感情を見せるやり方もあったかと思いますが、一番いいところを出してきてくれました。僕がただ『やってみてください』と言うと最適な芝居を返してくれるため、つくづく『上手いなあ』と思わされました」
菅田「僕から言わせれば、それは現場の空気に尽きます。黒沢組に漂っている雰囲気から外れすぎると、警報が鳴るような感覚があって…『これが吉井のムードなのかもしれない』とは感じていました。撮影中に黒沢さんとの会話のなかで出た『もうちょっと厳しい顔はできますか』とか『常にそれくらいでもいいかもしれません』といった何気ない言葉が、ヒントになったところもあります。あんまり計算しすぎても逆効果ですが、迷った時に修正できるように表情の幅感は取っていました」
撮影の進行
先ほどの商品が売れたシーンは、観客的にはじりじりと固唾をのんで見守るようなものかと思います。
黒沢「とはいえ、さらさらと撮っただけではありますが、吉井の表情をしっかり撮っておこうとは考えていました。しかしそれを決めたのは、撮影の直前でした。後ろ姿という手もあるけれどどうしようか、あらゆるカットを撮ることはできないからとギリギリまで悩みつつ、『きっと行けるはず』と賭けました。特に俳優の顔のアップは、こちらでどうこう指示してうまくいくものではなく、ただ『上手くやってくれ…』と祈るしかないものです。『右眉をもう少し下げて』なんて言ってもあまり意味がありませんから。クリーニング工場の菅田さんと荒川さんのシーンを撮っていくなかで『これはきっとうまくいく』という想いが芽生え、アップで撮ることにしました。
菅田「序盤の荒川さんとのシーンだけ、みんなで探りましたね」
黒沢「そうですね。僕にとっても初日だったのでいろいろ探りはしましたが『菅田将暉やっぱりイケてるわ』と思い(笑)、そのあとのいくつかの重要なシーンは吉井の