『百年の孤独』と寺山修司:命を賭けた映画化の物語
『百年の孤独』に入れ込み、命を失った作家
1982年1月13日に開かれた記者会見で、高橋洋子、山崎努、寺山修司、小川真由美、原田芳雄が並んでいた。この会見は、寺山修司が『百年の孤独』の映画化に取り組んでいることを公表するものだった。しかし、その直後、寺山修司は『百年の孤独』に入れ込み、命を失う運命にあった。
『百年の孤独』の文庫化とその影響
2023年7月、ガルシア=マルケス著『百年の孤独』(鼓直訳、新潮文庫)が単行本刊行から52年目にして初めて文庫化された。発売からあっという間に完売し、全国の書店の店頭から消えた。その後、増刷が相次ぎ、今では容易に入手できるようになった。
「原著は1967年にコロンビアで刊行された、スペイン語の小説です。その奇想天外な展開に、世界中でベストセラーになりました。1982年には著者がノーベル文学賞を受賞しています。日本では1972年に邦訳が刊行されましたが、一度も文庫化されることなく、新装版や改訳版となって、単行本のまま、読まれつづけてきました」(ベテラン編集者)
『百年の孤独』は、架空の村マコンドにおける7世代、百年にわたる物語である。半世紀ぶりに文庫化されることになり、「文庫となったその時には、世界が終わる」などという、わけのわからない都市伝説までが再び注目を集めた。
「本書を契機に、世界中でラテンアメリカ文学の大ブームが起きました。日本でも、大江健三郎さん、井上ひさしさん、池澤夏樹さん、さらに今回の文庫に解説を寄稿した筒井康隆さんなどが影響を受けています」
池澤夏樹氏は、今回の文庫化にあたって、詳細な登場人物家系図と注釈を入れた「読み解き支援キット」を制作し、ネット上で公開した。
寺山修司と『百年の孤独』
「たしかに多くの作家が、『百年の孤独』に影響を受けています。しかし、“影響を受けた”どころか、入れ込むあまり、命まで失ったひとがいます」 と、意外な解説をしてくれるのは、70歳代の元演劇記者だ。
「それは、寺山修司さんです。寺山さんは、『百年の孤独』に入れ込むあまり、舞台化、映画化し、そのまま亡くなっていきました。晩年の彼は、まるで『百年の孤独』に取り憑かれたような日々でした」
寺山修司の『百年の孤独』への取り組み
寺山修司が『百年の孤独』を読んだのは、1979年のことだった。たちまち魅せられたと語っていた寺山作品の多くは、“記憶”が重要なモチーフとなっている。その同じモチーフが、小説で描かれていたことに、大興奮していた。おそらく“おれと同じことをやっている作家が、地球の裏側にいた”と思ったことだろう。その時点ですぐに映画化を決心している。
その前に、まず自らの劇団「演劇実験室 天井桟敷」で舞台化している。1981年7月、晴海の東京国際見本市で上演された。当時のポスターには、〈作――寺山修司(G・ガルシア・マルケス作『百年の孤独』新潮社版による)〉と表記されている。チラシには〈コロンビアの作家ガルシア・マルケスの『百年の孤独』から着想し、寺山修司が自由に書きおろした〉とある。あくまで『百年の孤独』を参考素材とした“創作”だという構えだ。寺山さんは、よく“『百年の孤独』の読後感が発想の原点だ”といってた。
元演劇記者氏は、その公演を観ていた。しかし、「よくわかりませんでした」と笑う。
「行ってみると、倉庫のような広大なスペースで、たしか立って観た記憶があります。中央に舞台があり、塔のようなものが建っている。そこから四方に花道が伸びて、その先にも舞台がある。つまり、5つの舞台があって、そこで同時に複数の芝居が展開するのです。ところが中央舞台に突起があるので、向こう側ではなにをやっているのか、観えないんですよ」
記者氏は、寺山本人へのインタビューの際、「向こう側が観えませんでしたよ」といった。
「すると寺山さんは、『ならば、向こう側へ行って観ればいいじゃないか。観客も“参加”しなきゃ』と、平然と答えていました。ただ、そういう苦情は予想していたようで、観客にはセリフ台本が配布されました。観えない部分は、これを読め、というわけです」
それよりも、いったい、芝居の中身はどうだったのだろうか。
「なにしろ、そんな舞台構造ですし、お決まりの寺山ワールドですから、ストーリーを楽しむような芝居ではありません。ただ、わたしも一応、小説を読んで行ったのですが、意外なほど『百年の孤独』のテイストを強烈に感じました。参考素材どころか、寺山さんなりの解釈で『百年の孤独』をストレートに舞台化したような印象です」
公演チラシの惹句には、〈取り残された村の、この世で最後の百年! 架空の土地を舞台に、語りつがれてゆく一家族の伝奇的なロマンを、独自の演劇空間のなかに描き出す。〉とあった。これだと、たしかにガルシア=マルケス作品そのもののようにも読める。
「豚の尻尾の子ども、いとこ同士の近親相姦、殺人と逃走、健忘症、結婚式の延期、男を変死させる娘、幽霊、神父、村の教会……小説のモチーフが、そのまま登場し、闘鶏のシャモも舞台上を歩き回っていました。それだけに、時代や場所、人物名は変わっていますが、『百年の孤独』そのものともいえました」
映画化への道のり
この勢いを受けて、寺山修司は、そのまま「百年の孤独」映画化に突き進む。だが、予想もしなかった2つの大問題に襲われることになる。
「寺山さんは、映画化にあたり、舞台を南国の架空の村〈百年村〉に設定しました。そのため、沖縄で大々的なロケをおこなうことになりました。ところが、このころ、寺山さんは肝硬変が悪化しており、医師からドクター・ストップがかかっていた。すでに舞台公演の前にも北里大学病院に1か月入院しており、かなり体力も衰えていたのです」
しかし、医師の指示にしたがう寺山ではなかった。1982年1月、寺山はスタッフやキャストと共に、沖縄へ向かう。その手には、はっきり「百年の孤独」と表紙に印刷された台本が握られていた。ロケ中に、羽田空港沖で日航機の墜落事故(逆噴射事故)があり、原田芳雄が乗っていたとの誤情報が飛び交う騒ぎもあったという。
「しかしこのとき、映画化について、原作者側の正式許諾が、まだ得られていなかったのです」
舞台化の際は、原作者側エージェントに申請して、許諾が得られていた。だが、映画化については、まだだったのだ。
「舞台化でもそうでしたが、寺山さんには、ガルシア=マルケス作品を、そのまま映像化するといった意識はありません。あくまで“読後感”から発展した、オリジナル作品のつもりでした。だから、大丈夫だろうとの見通しのまま、撮影に入ってしまったのです」
撮影は同年春までかかった。最後の方では、寺山はほとんど寝たきりとなり、「よーい、ハイ」と「カット」の合図を出すだけで精いっぱいだったようだ。それでもなんとか撮影を終えたが、秋になって事態が深刻化した。以下、当時の新聞報道から。
〈同年(1982年)九月、寺山氏側は資料(台本、未編集のビデオテープなど)をマルケス氏側の代理人に見せたところ、話がこじれてきた。/寺山氏の映画を小説『百年の孤独』の一部を利用したものである、とするマルケス氏側の見解と、小説『百年の孤独』の読後感から出発した別個の映像作品である、とする寺山氏側の見解――が平行線をたどり始めた。以後、双方の弁護士の手に委ねられた。〉(読売新聞1984年2月23日付夕刊「『さらば箱舟』秋やっと公開」より)
「もともと寺山さんは、引用・参照・模倣・パロディ・オマージュ・コラージュの区別が混沌としているひとなのです。十代のころ、先進的な短歌を発表して話題になりましたが、すでにそのころから盗作だの模倣だのといわれてきました。しかし、そこにある種の魅力と妖しさがあるのも事実で、それがわからないと、寺山芸術は理解できません。残念ながら南米の原作者側に、そのニュアンスが伝わることは、ありませんでした」(元演劇記者)
撮影は終わり、映画は完成した。だが交渉はこじれ、公開のめどが立たないまま、時が過ぎた。1983年4月、寺山は弱った身体で、ガルシア=マルケスに長い手紙を書く。「『百年の孤独』は副題とし、小説と映画の関係もフィルム中で明示します」と。しかし、それらの提案もすべて却下されたという(読売新聞・前同より)。
その手紙を書いた直後の4月22日、寺山は意識不明となり、東京・杉並の河北総合病院に入院。5月4日、肝硬変と腹膜炎による敗血症で逝去する。享年47の若さだった。
「結局、寺山さんは、命を削って完成させた、映画「百年の孤独」を観ることなく、旅立ってしまいました。臨終の枕もとでは、寺山さんの前夫人で映画のプロデューサーをつとめた九條今日子、そして映画で“男を変死させる少女チグサ”を演じた高橋ひとみが見おくったそうです」
交渉は製作会社のATGによってその後もつづき、1984年初頭、ようやく和解となった。条件は「『百年の孤独』のタイトルと原作者名を使用しない、弁護士費用2万ドル(当時のレートで約460万円)を支払う」だった(読売新聞・前同より)。
タイトルは「さらば箱舟」と改題され、1984年9月8日、いまはなき有楽町スバル座で公開された。
映画「さらば箱舟」の内容
かくして、寺山修司が命と引き換えに完成させた「さらば箱舟」だが、どんな映画なのだろうか。
「まさに寺山ワールドの集大成で、圧巻の映像です。私は本作を、『百年の孤独』の完全映画化だと、いまでも信じています」(元演劇記者)
舞台は沖縄とおぼしき南国。時任大作(原田芳雄)が支配している〈百年村〉。その分家のいとこ同士、捨吉(山崎努)とスエ(小川真由美)が結婚する。だが近親結婚すると犬の顔の子供が生まれるとあって、スエは蟹の形をした鉄製の貞操帯を付けられていた。
やがてあるトラブルで、捨吉は本家の大作を殺害。逃走し、健忘症になり、物の名前を書いた札をあちこちに貼りつけ……。森のなかには、男を変死させる少女チグサ(高橋ひとみ)が。さらに、本家に先代の血筋と称する謎の女ツバナ(新高けい子)が住みつき……。そこへ、かつて本家のカネを盗んで出奔した分家の米太郎(石橋蓮司)がもどってきて……
「要するに、この映画も『百年の孤独』のモチーフが、かなり、そのまま出てくるのです。終盤、時間が流れ、村には電気や電話が通り、自動車がやってくる。村人は、次々と、都会となった隣町へ行ってしまい、誰もいなくなる。クライマックスで、小川真由美が半狂乱になって叫ぶシーンには、背筋を何かが走るでしょう」
〈バカ! 隣の町なんて、どこにもなか! 神様とんぼはうそつきだ! 両目とじればみな消える……隣の町なんてどこにもなか……100年たてば、その意味わかる! 100年たったら、帰っておいで!〉
「このあとに展開する“100年後の光景”に、小説『百年の孤独』のエッセンスが、見事に凝縮されていると思います。特に派手なドラマもないのに、このラスト10分は、涙なしでは観られません」
この映画「さらば箱舟」を、ひさびさに映画館で観ることができる。東京・千代田区の神保町シアターで開催中の特集上映「映画で愉しむ――私たちの偏愛文学」のなかで、10月5~11日に上映される。
「この作品は、映画館の暗がりのなかで観られることを前提に画面がつくられています。配信やDVDでも観ることができますが、ぜひ、映画館のスクリーンで観てほしいですね」
それでこそ、寺山修司が『百年の孤独』にかけた思いを、初めて理解できるはずである。
著者プロフィール
森重良太(もりしげ・りょうた) 1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。