『憐れみの3章』:ヨルゴス・ランティモス監督が描く異様な世界と既成概念の破壊
ヨルゴス・ランティモス監督の最新作『憐れみの3章』は、不穏な3つの物語がつづられるオムニバス形式の作品だ。『女王陛下のお気に入り』や『哀れなるものたち』などで知られるランティモス監督と、俳優のエマ・ストーンが再びタッグを組み、4作目の協働作品として完成した。本作は、監督の原点に立ち返った作品で、脚本は監督と長年コンビを組むエフティミス・フィリップとの共同作業によるオリジナルストーリーとなっている。
本作の3つのエピソードは、それぞれ異なる役柄で出演するエマ・ストーン、ジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリー、ホン・チャウらが登場する。各エピソードには、ランティモス監督の友人であるヨルゴス・ステファナコスが演じる「R.M.F.」という謎の人物が共通して登場し、一つの世界が舞台となっていることが示唆される。
第1章「R.M.F. の死」 主人公ロバート(ジェシー・プレモンス)は、会社の上司レイモンド(ウィレム・デフォー)から、特定の車に衝突して人を殺すよう要求される。ロバートはこの要求を断ると、彼の周囲で様々な異変が起こり、彼はあらゆるものを失っていく。妻(ホン・チャウ)も忽然と姿を消し、ロバートはレイモンドの影響から逃れられない状況に追い込まれる。最終的に、ロバートは新たな女性リタ(エマ・ストーン)と出会い、その関係が「ハッピーエンド」のように描かれるが、その邪悪さと奇妙さが肯定されているかのように見える。
第2章「R.M.F. は飛ぶ」 警察官ダニエル(ジェシー・プレモンス)の妻リズ(エマ・ストーン)が消息を断つが、無事に見つかったと報告される。しかし、帰宅したリズの言動に違和感を感じたダニエルは、彼女が偽者だと疑い始める。疑惑が深まるにつれ、ダニエルは同僚のニール(ママドゥ・アティエ)に相談したり、異常な行動をとるようになる。最終的に、ダニエルはリズに異常な要求を突きつけるが、物語は「ハッピーエンド」を迎えてしまう。
第3章「R.M.F. サンドイッチを食べる」 エミリー(エマ・ストーン)は、死者を蘇らせることができる特殊な能力を持った人物を探している。彼女は、カルト宗教団体の教祖にするつもりで、双子の片方で、もう一方が生存している人物を探している。夢のお告げによって、ダイナーの従業員レベッカ(マーガレット・クアリー)がその人物に似ていることに気づき、彼女の導きによって目的の人物に接近する。一方で、エミリーは元夫(ジョー・アルウィン)によって性的に清浄な状態が脅かされ、教団のルールに違反してしまう。最終的に、エミリーは異常な要求を突きつけるが、物語は「ハッピーエンド」を迎えてしまう。
ランティモス監督は、これらのエピソードの異様さや、希望が描かれないと感じられる展開について、取材で次のように答えている。「希望がない? 分からない…ただ私は、ハッピーエンドの映画を撮っただけだ」。本作は、道徳的に間違った行動をとる主人公を肯定的に描くことで、観客の既成概念を崩そうとしている。
本作の題材は、アルベール・カミュやイングマール・ベルイマン監督の作品に見られる「神無き時代」の不安を反映している。現代社会では、神の存在が希薄になり、特定の人間が「神」に取って代わり絶対者になり得る状況が生まれている。ランティモス監督は、観客の感動のメカニズムを破壊することで、より現実的な思考へと導こうとしている。本作は、3つのエピソードを重ねることで、観客の既成概念を崩し、「神無き世界」を乗り越えた地点で思考を促す意図を持っている。