藤原伊周、息子に残した最後の言葉…道長への反抗と敦康親王の運命

藤原伊周、息子に残した最後の言葉…道長への反抗と敦康親王の運命

藤原道長の娘・彰子が一条天皇との二度目の皇子を出産し、道長は彰子が産んだ皇子が即位することを望むようになった。一方、道長の政敵である藤原伊周は、嫡男・道雅に「左大臣(道長)には従うな」と告げてまもなく亡くなった。伊周の弟・隆家は、引き続き道長に仕えると申し出た。

一方、一条天皇と伊周の妹・定子との間に生まれた敦康親王の元服が近づき、彰子に別れを告げていた。道長は彰子と親密な様子をみて、敦康親王が『源氏物語』の光る君のように義母と関係を持つのではないかと心配し、まひろに相談する。まひろはその言葉を真剣に取り合わなかったが、道長は敦康が元服したらすぐに別の宮に移すよう藤原行成に命じた。

伊周は16年前、「香炉峰の雪」の日には完全無欠の貴公子だったが、その後、呪詛の人形を食らったり、高笑いしながら呪符を撒き散らすなど、絶望的な姿を見せ、視聴者からは心配や同情の声が寄せられた。伊周が死を目前に「俺がなにをした」とつぶやいたとき、SNSでは「呪詛!」や「道長の暗殺未遂」など、伊周の過去の行いについての指摘が相次いだ。

道雅に「左大臣に従うな」と命じた後、伊周はあの雪の日の幸せな思い出を思い出して逝去した。視聴者からは「道雅、かわいそうに」といった叱責と追悼の声が寄せられた。

道雅はその後、物騒な事件を起こし「荒三位」というあだ名がついたが、歌人として優れた歌を多数残し、特に三条天皇の皇女との禁断の恋から生まれた歌は「小倉百人一首」にも選ばれている。『光る君へ』で道雅の荒ぶる生き方がどのように描かれるのかにも注目が集まっている。