「推しの押しつけ」を感じる瞬間も増加: アニメコラムニスト・小新井涼氏が解説

「推しの押しつけ」を感じる瞬間も増加: アニメコラムニスト・小新井涼氏が解説

「推しの押しつけ」を感じる瞬間も増加

SNSの普及により、「推し」や「推し活」という言葉が一般化し、さまざまな企画が行われるようになり、一大市場となっています。しかし、一部の人々はこの現象に違和感を感じるようになっています。アニメコラムニストの小新井涼さんが、この違和感の背景を解説します。

「推し」の一般化とその影響

「推し」や「推し活」という言葉が広く一般化したことで、世間からの注目が高まり、メディアでの取り上げられ方も増えています。これに伴い、推し活に便利なグッズやサービスも増えており、多くの人々にとって便利になっています。しかし、推し活を楽しむ当事者の間では、徐々に増える推しや推し活を扇動・前提化するような一部の風潮に、辟易する空気が漂い始めています。

自発性の喪失と「押しつけ」の違和感

この違和感の要因は、本来自発的に(時には不可抗力的に)できるはずの推しや、自由気ままに楽しまれていた推し活が、第三者から「押しつけ」られることへの違和感にあると考えられます。例えば、最近では「推しを見つけよう」「推しが見つかる」と謳った作品やアーティストの特集が増えています。しかし、これらの特集はまるで新しいエンタメに触れるきっかけが推しを「作る・探す」ためであるかのような謳い文句に、一部の人々は疑問を感じています。

推しは、作品やアーティスト等に触れた結果、「できる(ことがある)」ものだという意見があります。これは、自身が家族として大切にしているペットについてのSNSアカウントがたまたまバズるのと、バズるためにペットを飼うことくらい、結果は同じでも意味が大きく異なるのと同じです。つまり、推しが推し活をするためのツールであるかのように、「推し活をするために推しを作ろう・見つけよう」と、第三者から扇動されることへの違和感が生じているのです。

「推しがいることが前提」の風潮

また、何かを好きになったり応援したりする際に、「推しがいることが前提」とされているかのような風潮にも戸惑いを感じる人々がいます。今や推す側のファンだけでなく、ファン以外の人々や企業側までが「推し」という言葉を使うようになり、アイドルやアニメをはじめ、スポーツ等あらゆるジャンルで「推し」という言葉に出くわすようになりました。

しかし、何かを好きであったり応援したりするファンの中には「推し」がいない人もいますし、もちろんそれでも対象を十分楽しむことはできます。例えばアニメであれば、原作を読む、グッズを買う、コスプレをするといった様々な楽しみ方がありますが、これらは推しがいなくても行えるからです。そのため、昨今の「何かを好きなら」「応援しているなら」「ファンなら」まるで推しがいることが前提とされているような、一部マーケティングや報道の風潮には、違和感を感じる人々がいるのです。

便利さと違和感の両面

一方で、推しが一般化したことで喜んだり助かったりすることもたくさんあります。実際に、推しのいるファンが何を求めているかを知った企業によって、需要に合致した展開が行われたり、「こんなグッズが欲しかった…!」と思うような便利なグッズが生まれてきたりもしました。

しかし、最近は推しを巡る盛り上がりを受け、一部企業やメディアが、ファンの熱量をなんでもかんでも推しや推し活にラベリングしているかのような、「推しの押しつけ」を感じる瞬間も増えています。これによって、従来は自分たちで使っていた推しや推し活という言葉が、いつのまにか第三者から押しつけられるようにもなった事態に、何だか知らない言葉と対峙しているかのような違和感も生じているのかもしれません。

今後の展望

この盛り上がりによる違和感は一過性のもので、今後は徐々に落ち着いていくのか、それとも違和感はより加速して、「推し」という言葉がいずれ推す側の当事者たちの知らない、第三者によりイメージ付けられた全く別の言葉になっていってしまうのか。推しを持つ当事者たちが抱く違和感には、従来自分たちが使っていた言葉が第三者によって別の意味で塗り替えられてきているかのような、それを押しつけられているかのような、そうした漠然としたモヤモヤもあるのではないかと、個人的には思います。

小新井涼プロフィール

こあらい・りょう=KDエンタテインメント所属、北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院博士課程在籍。毎週約100本以上(再放送、配信含む)の全アニメを視聴し、全番組の感想をブログに掲載する活動を約10年前から継続しつつ、学術的な観点からもアニメについて考察・研究し、大学や専門学校の教壇にも立つ。アニメコラムの連載をする傍ら、番組コメンテーターやアニメ情報の監修で番組制作にも参加している。