「SHOGUN」の成功と真田広之の英語力:オーセンティシティの力

「SHOGUN」の成功と真田広之の英語力:オーセンティシティの力

「SHOGUN」の成功と真田広之の英語力

先日、真田広之さんが主演プロデュースを務めたドラマ「SHOGUN」がアメリカのエミー賞の作品賞に輝き、大きな話題となりました。これまでの海外で作られた日本を舞台とした映画・ドラマは、日本の文化を知っている人が観ると噴飯ものの間違った衣装や小道具、ステレオタイプの日本人など「外国人が見た日本っぽいもの」が描かれていることがお約束でした。

一方、「SHOGUN」は、総じて「オーセンティック」(本物らしさがある)という点が高い評価につながっているようです。

真田広之のプロデューサーとしての活躍

プロデューサーとしての真田広之さんの活躍ぶりも目立ちます。各種の取材にも通訳なしで対応されており、制作に必要なコミュニケーションもおそらくハリウッドのスタッフと英語で行っていたことでしょう。真田さんの英語力なくして「SHOGUN」の成功はなかったと言えます。そして、その真田さんの英語もまた「オーセンティック」であることが好印象になっていると思います。

真田広之の英語力

まず、真田さんの英語の「実力」についてですが、さまざまなインタビューを見た感想としては「とても上手な日本人の英語」ということが言えるかと思います。真田さんの英語を「ネイティブ並み」と評価する声もありますが、私の耳には「聞き取りやすい」「わかりやすい」という点で素晴らしいですが、「ネイティブ」というものとは少し違います。それでも真田さんは英語を使って大活躍されています。実は英語をビジネスで使いこなす上でネイティブかどうかはまったく関係ないのです。

アメリカでは多くの移民が活躍しており、特にIT業界にはインドや中国など、多彩な国から才能を持った若者が集っています。この人たちが全員英語がとても流暢かというと、必ずしもそうでもありません。ただし、彼ら全員に共通して言えるのは、必要な意思疎通ができる「わかりやすさ」があるという点です。

もう1つ、特にビジネスで評価されている非英語圏の人に共通しているのが、自信を持って話しているということです。自信満々というのは日本では生意気と思われかねませんが、明確な主張を、自信を持ってすることは、アメリカのビジネスではむしろいい評価を得られます。

真田広之の英語の魅力

こうしてみると真田さんの英語も、発音や話す速さなどではネイティブとは言えない点も多くあるのですが、シンプルな構造のセンテンスを使って言いたい点をしっかりと伝えています。そして何より、まったく臆さず自信を持って話せている点が、「真田さんは英語がうまい」と感じさせているのでしょう。

人前で話すためのスキルはメンタルな要素が大きいと思いますが、俳優業はこのスキルを究極まで鍛え上げるのに最適な職業の1つです。また、俳優として身につけている相手の感情を動かすための表現力も真田さんの英語に魅力を与えているのではないでしょうか。こうした能力さえあれば、英語でネイティブを目指す必要などないのです。

もっとも、真田さんは日本で育った日本人としてはかなり英語がお上手です。おそらく日本の外資系に務めている日本人社員の平均よりも流暢なのではないかと思います。

AIの進化と英語学習の未来

ところで、最近は人工知能(AI)の進化もあって英語を学ぶ必要性がなくなると考える人もいるかもしれません。確かにAIの翻訳能力の進歩は素晴らしいものがあります。A4 2~3ページもある長い文章で、これまで翻訳者に特急でお願いしても1日かかった作業が30秒程度で終わってしまいますし、意味を間違えることもほぼなくなってきています。AIがあれば、メールや文書に関してはほぼ英語力は不要と言えるでしょう。

では、リアルタイムな会話はどうでしょう。一応私もAI半導体の会社の人間なのですが、その私が推測するところでは、まもなく会話についてもリアルタイムにAIが通訳をしてくれる時代がくると思われます。そうなると、駅で道を聞いたり、レストランで注文をする時に困ることもなくなるので、海外旅行などで英語が通じず心細い思いをすることもなくなるでしょう。

AIの限界と人間の魅力

ただ、それでも英語を学んで、話せるようになることの価値は大いにあると思います。英語と日本語という距離のあるもので考えると実感が湧かないかもしれませんが、日本語と日本語で考えるとわかりやすいかと思います。

例えば営業マンが大勝負の商談をAIに任せたとして、AIがどんなに流暢なプレゼンをしてくれたとしても、何か重大なものを伝えられないような不安がまとわりつくのではないでしょうか。高校生の男子が好意を寄せている女子に交際を申し込む時、これをAIに依頼するとさぞかし洗練された言葉を駆使してくれるとは思いますが、それははたして男子高校生の告白としてふさわしいのでしょうか。相手の気持ちを動かせるのでしょうか。

このAIを使った時に感じる「何か欠けている感じ」こそ「オーセンティック」なのだと思います。なかなか表現しにくいですが、生きた人間の心から発せられる言葉だけが持つ力のようなものがあり、人は誰もそれを感じる能力を備えています。この会話の中で感じるオーセンティックな印象というものは、たとえ外国語であっても感じとることができます。

「SHOGUN」の成功とオーセンティシティ

今回「SHOGUN」を観た私個人の感想になってしまいますが、日本人俳優陣の日本語での演技がこの作品のクオリティを高めているのは間違いありません。私は日本語がある程度わかりますが、まったく日本語がわからず字幕を追っている英語話者にとっても、セリフの声のトーン、抑揚や速度、間合いなどから、その俳優の演技は伝わってくるものです。吹き替えの声優さんももちろん素晴らしいですが、やはり演じている当人の声というのはこれもまた「オーセンティック」な印象を受けるものです。

時代背景を理解した俳優が台本を読み込み、監督と演技について議論を交わし、何テイクも撮ったなかで最高のカットをつなげて作られた1本の作品だからこそ、たった数秒のセリフにも我々は引き込まれるのだと思います。芸術的な仕事もAIが奪ってしまうことを心配する声もありますが、「SHOGUN」を見るとその心配はあまりしなくていいのではないかと思えます。

「SHOGUN」の前作との違い

「SHOGUN」は、1980年にも一度アメリカで制作されています。こちらも一定の評価を得たのですが、冒頭に書いたような「アメリカ人がなんとなくイメージしている日本っぽい世界」を描いており、役者も全員英語を話すというやや微妙な作品でした。その作品の評価を一変させた今回の真田版「SHOGUN」ですが、基本的に同じ原作なので前作との違いはごくわずかなものばかりなはずです。それでも今回の作品は前作をはるかに超える名声を得たのです。

この差こそ「それっぱい」か「オーセンティック」であるかの、ごくわずかな差です。しかし鑑賞者にはそれが「決定的な差」だったのです。それほどに私たちは芸術のオーセンティシティというものには敏感な生き物で、それを狙って作り出せるのは、役者やクリエイターという一部の特殊能力を持った人だけなのです。これをAIによって置き換えるのは難しいでしょうし、そもそも置き換えるべき理由がないように思います。

AIの登場と英語学習の目的の変化

一方、クリエイティブな作業でも、単純で時間ばかり浪費してしまう作業はAIが肩代わりしていくことになるでしょう。ビジネスの世界でも通知や議事録などはすでにAIが活躍を始めています。しかし、ここぞという人間力で勝負するような場面では、少々たどたどしくても生身の人間の存在が必要なのです。

そうなると、英語の勉強も少し目的が変わってくる可能性もあります。「意味さえ伝わればいいんだ」と、文法や発音に重点を置いてきたならば、そうした部分はAIによる支援を得ながらも、相手の気持ちを掴むような「自信のある話し方」を学ぶことが最終目的になっていくかもしれません。翻って真田さんの英語はクリアに相手に言いたいことを伝えながらも、演技を通じて身につけた自信のある語り口で相手にオーセンティックな印象を残すことができるのです。

この能力で「SHOGUN」のハリウッドの制作チームを説得し、日本語によるセリフを採用させ、日本人のスタッフやキャストを起用することができたのだと思います。