真田広之の素顔が明らかに!堀越高校時代の親友・島英津夫が語る知られざるエピソード
真田広之の素顔 親友・島英津夫が明かす エミー賞の感想は涙と喜びで満ちたものだった。ドラマ『SHOGUN 将軍』で主役とプロデューサーを務めた真田広之は、2003年から海外に活動拠点を移し、世界的に評価される俳優となった。そんな彼の素顔を堀越高校時代からの親友の俳優・島英津夫が明かした。
島英津夫は、堀越高校時代の思い出を笑顔で振り返る。真田は非常に真面目な学生だった。いつも授業にもきちんと出て、『JAC』のトレーニングにも通っていた。学業も優秀だった。卒業試験では真田の解答を全部カンニングさせてもらって、島も無事卒業できたという。
真田と島は家族ぐるみの付き合いだった。真田は島の母である淡路恵子を「おっかあ」と呼び、自分の母親のように慕っていた。ロサンゼルスから日本に戻ると必ず淡路に会いに行き、淡路の作るスペアリブが好物だった。ある時、真田はロスで母のレシピをもとにスペアリブを作ってみたものの、どうしても味が再現できないと悩み、母に電話をかけてアドバイスを求めた。淡路は、「それは塩梅が違うんだよ。同じ1000円の肉でも何十年と味付けした人と初めての人と、同じ塩加減でも塩梅が違うのよ。役者も同じでしょ」と諭した。
淡路が亡くなった際も、真田はすぐに島に電話をかけてきた。真田はすぐに電話をかけてきた。淡路の死を聞いた時の真田の言葉に島は感動した。「おっかあに会いたかったな。何もしてあげられなくてごめん、日本に戻ったら連絡するよと涙ながらに言っていましたね。『今頃うちのお袋(1989年に死去)とおっかあは天国で飲んだくれてるから心配するな、生きてる俺たちが頑張ろう』と言ってくれた」。
真田と島の青春時代を語るに欠かせないのが、ラーメンパブ『リッチハウス』だ。特に人気だったのは、シンプルながら抜群に美味しい醤油ラーメンだった。真田はハリウッドで成功してからも帰国すると時々『リッチハウス』に通っていた。島のバースデーをやってもらったことがある。マスターが船の形をしたケーキを作ってくれて……今でも忘れられない。
その後、真田は2003年の『ラスト サムライ』への出演を機に、活躍の場を海外へと広げることになる。2010年には「ハリウッドで最も活躍しているアジア俳優」に選出されるなど着実にキャリアを築いてきた。島は真田のエミー賞受賞を聞いた時の率直な思いを口にする。「涙が出ましたよ。スピーチで『これまで時代劇を継承して支えてきてくださった全ての方々、そして監督や諸先生方に心より御礼を申し上げます』と語っていて、きっとうちの親父(義父の萬屋錦之介)、勝新太郎さん、三船敏郎さんらみんなのために今まで努力してきたんだろうなって思いました。僕の高校時代から20代にかけての青春時代は、いつも広之と一緒でした。苦しい時辛い時、いつも声をかけて励ましてくれた。かけがいのない無二の親友です」。