【引退決意】西武・金子侑司、12年間のプロ生活に終止符。人よりカッコいいプレーを追い求めた男
金子侑司選手が今季限りで引退することを決断した。9月15日の引退会見で、金子は複雑な心境を吐露した。
2024年シーズン、金子は1番打者として開幕戦に先発出場し、チームの貧打をリードオフマンとして懸命に引っ張った。しかし、5月後半に打率を落とし、6月3日に登録抹消となった。その後、松井稼頭央監督が成績不振で静養となり、渡辺久信GM兼監督代行がチームを引き継いですぐに二軍落ちとなった。
イースタン・リーグでは打率.290、出塁率.354、10盗塁と活躍したが、一軍に呼ばれることはなかった。金子は「選手なので、一軍にいようが二軍にいようがやるべきことをやらなければいけないと思っていました。その中で何とかもう1回一軍に上がって、応援してくださる方々やファンの皆様に、自分がプレーしているところを見てもらおうという思いだけでファームでも若手たちと頑張っていました。それがかなえられなかったことはすごく苦しかった」と語った。
34歳の金子に周囲は「まだやれる」と声をかけ、本人も「正直、自分のなかでもまだできるかなと思うところはある」と話したが、今季限りで12年間の現役生活を終えることを決めた。
金子は「9月1日に引退発表させてもらったので、8月末ぐらいに今のチーム状況、自分の立場をいろいろ考えた中で、ライオンズにとって……。うまく言えないですけど、難しいな。自分は本当に頑張りたかったですけど……難しいですね。うまく言おうと思ったんですけど。来年のライオンズの戦いに自分が加わっているイメージが最後はできなかったので。そう思ってしまった瞬間に、現役を引退しようと決断しました」と心境を語った。
今季の西武は歴史的な敗戦を喫し、主力選手が次々とFA権を行使して退団する中、世代交代の失敗が響いた。シーズン序盤からチームが低迷し、球団が来季以降に向けて若返りを図るのは当然と言える。ベテラン選手は相対的に年俸が高くなる一方、戦力の上積みを果たすには若手を伸ばしていくことが不可欠になる。
9月14日に引退会見を開いた岡田雅利も、ユニフォームを脱ぐ決断の一因としてチーム事情を挙げた。低迷するチームの悲哀を感じさせられた。
2018年に10年ぶりのリーグ優勝を果たし、連覇を目指した翌年の春季キャンプ前、秋山翔吾(現・広島)は「周りがすごく打っている中で、金子は苦しい思いをしたと思います」と振り返った。2018年オフ、菊池雄星がマリナーズへ(現・アストロズ)、炭谷銀仁朗が巨人へ(現・西武)、浅村が楽天に移籍した。そんなタイミングでキャプテンを任された秋山が、連覇に向けて言及したひとりが金子だった。
「金子は毎年ギラギラしてやっているんですよ。ギラギラとチャラチャラを併せ持つヤツなんです。あいつはいろいろ研究していますよ。去年(2018年)は本当に苦しいところからスタートして、最後、頑張ったところがあったし」
2018年終盤、外崎修汰がケガで戦線離脱した際、金子は持ち味の俊足を生かして下位打線からチームを勢いづけた。翌年、133試合で打率.251、41盗塁を記録し、2度目の盗塁王を獲得し、チームの連覇に大きく貢献した。
金子は「1年、1年、本当に結果を出そうと思って必死にやっていました。たまたま、その年はよかったですかね(笑)。優勝してタイトルも獲れましたし、本当にいい1年だったと思います」と振り返った。
金子の原動力は「人よりカッコいいプレーをしたい」という思いだった。プロ入り1年目の2013年開幕戦に7番ライトで先発出場し、以降3年連続で二桁盗塁を達成。4年目の2016年には盗塁王を獲得し、スピードスターとしてファンに愛された。
今季まで西武に通算12年間在籍し、1020試合に出場、打率.241、225盗塁を記録。2016年と2019年に盗塁王を獲得し、スピードスターとしてファンに愛された。
9月15日の引退試合ではフル出場を果たし、一瞬一瞬を惜しむように笑顔を振りまいた。「元気なうちに引退したいと思っていました。ただ年々、プロ野球でやらせてもらって『もう1年やりたいな』とか、『もう1年やったら、もっとみんな喜んでくれるかな』という思いが芽生えたのも実際ありました。最後は本当に難しかったです。もう1年頑張ってしがみついてやるという選択肢もありましたし……。でも、最初の自分の思いを通したところではありますかね。元気なまま、ライオンズファンの皆様に囲まれて辞めたいなと思いました」
引退試合ではレフトで華麗な守備を披露し、超満員のファンから大歓声を受けた。ファンに「カッコいい」と思われるようなプレーを心がけた金子らしい、華やかな最後だった。