朝井秀樹、巨人への移籍で夢の復活劇!【平成球界裏面史】

朝井秀樹、巨人への移籍で夢の復活劇!【平成球界裏面史】

2009年、朝井秀樹は試練のシーズンを迎えていた。2007年に8勝、2008年に9勝と2年連続でローテーションを担い、楽天イーグルスの主力として活躍していたが、2009年は制球を乱す試合が目立ち、ローテーションから外れた。中継ぎとしても結果を残せず、13試合に登板したものの、楽天移籍後初めて未勝利のシーズンを過ごした。しかし、イースタン・リーグでは14試合に登板して6勝3敗、防御率2.26と実力を示していた。

2010年も朝井は苦戦を強いられ、一軍での登板機会は7月8日に訪れた。田中将大の戦線離脱に伴い、出場選手登録されて即先発となったが、結果を残せず登録抹消となった。

この突然の登録、登板、抹消は、7月26日に巨人・栂野雅史投手との交換トレードでジャイアンツの一員になる前触れだった。当時の巨人・香坂英典編成担当は、2009年、2010年と不調だった朝井の可能性を見抜いていた。

7月26日はトレード期限の31日まで1週間を切ったギリギリのタイミングだった。このシーズン、巨人は先発陣が本調子ではなく、ローテーションでは内海哲也、東野峻の2人だけが正常に稼働していた。セス・グライシンガー、ディッキー・ゴンザレスら、かつて大活躍した外国人投手も不調で、先発要員の補強が急務となっていた。香坂氏は、楽天の投手陣が潤沢でない中、朝井が一軍の戦力として扱われていないことに違和感を覚えていた。

朝井の巨人移籍後初登板は8月8日の広島戦(東京ドーム)だった。先発して7回を2安打無失点に抑え、見事に移籍後初勝利を決めた。試合後、朝井は「本当に夢のようで…。家族にすごいつらい思いをさせた。何とか白星をプレゼントできて良かった」と涙を浮かべた。

この勝利は2008年9月17日の日本ハム戦(Kスタ宮城)以来、690日ぶりの先発勝利だった。単身赴任を選び、川崎市内の選手寮で再起を誓った新天地でのマウンドで、緊張しながらも落ち着いた投球を披露した。

PL学園時代から大先輩の桑田真澄氏をイメージした縦の大きなカーブが武器だったが、全投球の1割程度にとどめた。普段よりフォークボールの割合を増やし、巨人で新たな投球スタイルを確立した。

その後も朝井は好調を維持し、先発投手陣が不調のチームにあってローテーションを死守。10試合に登板(8先発)して4勝1敗、防御率2.01の成績を残し、巨人のCSファイナル出場に貢献した。朝井は「救世主」と称された。