「挫折からリベンジへ」香川真司のサッカーライフと日本代表10番の重圧

「挫折からリベンジへ」香川真司のサッカーライフと日本代表10番の重圧

欧州リーグで13年間プレーし、現在はセレッソ大阪で活躍する香川真司(35歳)が、自身のサッカー人生の挫折地点について語った。

香川は、長年欧州で活躍し、日本代表の中心を担ってきたが、その中でも特に鮮明に記憶しているドン底の経験がある。それは、2008年の北京オリンピックでの出来事だ。

当時、世界におけるJリーグの位置づけは今よりも低かった。また、世界では個の能力を大切にする国が多い一方で、Jリーグには組織として戦うことを大切にするカルチャーがあった。香川は、W杯の舞台で活躍するためには、能力の高い選手がひしめく海外でプレーする必要があると思い知らされた。

「大きなきっかけになりました。『世界に出ていかなきゃ』と意識させられましたから」

実際、香川と長友は、2010年の夏、同じタイミングでヨーロッパへ渡っている。彼らが、北京で味わった挫折を乗り越えようと本気で考えたからだった。

香川があの大会を挫折地点だと捉えるもう一つの理由は、日の丸を背負うことの意味を感じさせられたからだ。国際大会に初めて中心選手として出場したことで、代表のエンブレムや国を背負う責任感を強く感じた。

「世界大会で主力として戦うことで、代表のエンブレムや国を背負う責任感を非常に感じました。それなのに、3戦全敗で、何もできなかったなという……」

さらに、脳裏をよぎったのは、アジア予選を戦い本大会の出場権を勝ち取りながら、最終選考で落選した選手たちの存在だった。

「自分は最終予選には出ていなかったですし……。あの大会を目指している選手がたくさんいた中で、あのようなパフォーマンスで終わったことが本当に悔しかったですし、間違いなく責任を感じる大会でした」

その後、香川は2011年から日本代表の10番を背負うようになった。そこから数え切れないくらい、「日本代表の10番を背負う責任をどう感じますか?」と問われてきた。日本代表の取材を15年以上続けている筆者は、香川ほど背番号の意味を問われ続けた選手は他にいないと断言できる。

そうした質問に対して、彼ははぐらかすことなく、真摯に答え続けてきた。結果が出ていないときには悲愴感が漂うこともあった。それでも彼がブレなかったのは、あの大会で日の丸を背負う責任を知り、真剣に向き合って生きると決めたからだ。

飛行機が成田空港に着き、近くのホテルでオリンピックの解散式を行なった際、反町監督から個別にこんな言葉をかけられた。

「上手くいかなかったが、お前にはまだリベンジするチャンスがある。ここからの10年間、日本のサッカーを引っ張ってくれ」

果たして、そこから2018年のロシアW杯まで、香川は日本サッカー界を背負っていく選手となった。彼が悔しさを成長の糧にできるアスリートだったからこそ、北京オリンピックは意味のある挫折を味わえた舞台だと振り返ることができる。