「パリ五輪落選の真実」天才リベロ・小川智大が語る涙の夜と新たな挑戦
パリ五輪のコートに立てなかったリベロ小川智大(28歳)。悔しい想いを抱きながらも、チームに同行することを選んだ。悔しい思いを味わったのは、選ばれた12名の選手だけではない。「世界一のリベロ」と称されながらも、悲願のオリンピック出場を逃した小川智大(28歳/ジェイテクトSTINGS愛知)。なぜパリに残ったのか、なぜ最後のコートで涙を見せなかったのか。SVリーグ開幕直前、本人がすべてを明かした。
2019年から5シーズン在籍したウルフドッグス名古屋から、同じ愛知を拠点とするジェイテクトSTINGS愛知へ。小川智大はSVリーグ元年を、新たなチームで迎える。開幕が近づく中での練習日、午前練習を終えてTシャツ姿で取材の場に現れる。「やばいですよ、みんなすごいっす」と言いながら、小川は楽しそうだった。
「TJ(アメリカ代表のトリー・デファルコ)、めちゃくちゃヤンチャなんですよ。お前そこは絶対笑っちゃダメなとこだろ、と思うところでずーっと笑っている。失礼なヤツで、面白いんです」絶対泣かない男が流した涙。抜群のコミュニケーション力はどこに行っても変わらない。誰に対しても物怖じしない愛されキャラで、直前までふざけていたかと思えば、練習になると表情が変わり、難しいプレーも簡単そうにこなしてみせる。
「バレーだけは、嘘つけないです。僕の人生で、なくなったらおしまいなので」
小学3年から始めたバレーボール。幼少期は厳しい練習に「365日中、250日は泣いていた」と笑う。泣き虫なのは自認しているが、大人になった今は違う。人前で泣くのは絶対に嫌だから、泣かないと決めていた。ただ、唯一、あの夜をのぞいては――。
2021年、日本代表に初選出された時から、五輪出場は小川にとって大きな夢だった。最初のチャンスは東京五輪。Vリーグのベストリベロを受賞し、サーブレシーブやコート内での統率力には定評があった。パリ五輪直前のネーションズリーグでも、当時から日本代表で圧倒的な存在感を残した山本智大と共に、小川も日本のリベロがいかにハイレベルであるかを世界に見せつけた。
だが、14名がベンチ入りできる世界選手権やネーションズリーグといった主要国際大会に対し、五輪は12名。リザーブの1名を加えても13名に限られ、リベロが2名選ばれるケースはほぼない。直前の国際大会でアピールした小川の思いは届かず東京五輪は落選したが、その時は「落ち込むこともなかった」と振り返る。
「東京(五輪)で外れた瞬間、すぐ『パリだ』って。だから全然、あの時はすぐ気持ちが前を向いていました」
東京五輪直前の合宿まで練習に同行し、直後のアジア選手権にも出場した。フィリップ・ブランがコーチから監督に代わり、パリ五輪に向け本格的に始動した2022年から小川と山本が日本のリベロとして定位置を争う。それまで以上にハイレベルな争いを繰り広げてきた。言い方を変えれば、他の追随を許さないほど、2人の存在がずば抜けていた。
2022年世界選手権から翌年のネーションズリーグ、そして五輪予選も日本のリベロは山本と小川が選ばれた。山本は事あるごとに「小川がいるから自分を高められる」と述べ、小川も山本がいかにすごいリベロであるかを語る。「2人にしかわからない特別な関係」の守護神たちは、切磋琢磨しながらパリ五輪を目指した。
2024年の日本代表シーズンが始まる時、山本と小川にはブラン本人から「オリンピックのリベロは1人。だから選考がかかるネーションズリーグでは2人を交互に起用する」と告げられていた。
「マジで気合、入っていました。何より僕は、オリンピックに関係なく試合に出られないことが嫌で、それ自体にずーっと慣れなかった。言い方は悪いかもしれないですけど、面白くなかったですよね。自分が出たいわけだから、悔しいし、難しいじゃないですか。だからチャンスをくれたブランには、感謝しかなかったです」
ネーションズリーグの初戦、アルゼンチン戦には山本がスタメンリベロで出場。次戦のセルビア戦には小川が出場した。「覚悟を持って臨んでいた」という言葉に違わず、互いにできることはすべてやり尽くす、とコートで魅せた。
普通に考えれば、ライバルとのポジション争いの場はピリついていてもおかしくない。だが、互いが覚悟を持って戦う場だからこそ、小川は「リスペクトとポジティブであることに努めた」と振り返る。
「極論を言うと、相手がミスをしないと自分のチャンスは回ってこないかもしれない。でも僕はそういう考え方をすること自体が自分の価値を下げると思っていたので、絶対に嫌だった。トモさん(山本)のすごさは僕が一番わかるし、だからこそ普段通り。自分も自信を持ってやる。それだけ考えていました」
日本代表への注目度の高さも相まって、2人が平等に出場したネーションズリーグ期間中は、「リベロのポジション争いが熾烈」という記事がたくさん出た。見えないプレッシャーが、それまで鉄壁の守護神として君臨してきた山本にものしかかっていた。
ボールのインアウトのジャッジやレシーブの返球、これまでにはなかったズレが相次ぐ。そんな山本を誰より気遣っていたのが小川だった。
「試合に出ること自体は楽しかったですけど、僕もプレッシャーがめっちゃありました。相手がフローターサーブの時に隣の選手をカバーして(守備範囲を)広げて崩された時とか、『ここで崩されたことがメンバー選考に関係するかもしれない』と試合後に考えることもあった。だからトモさんにもタイムアウト中からずっと話しかけて『マジで気にしないほうがいい』って、ずっと言い続けていました」
世界最高のリベロが2人いる。だが、五輪に出場できるのは1人。6月23日、フィリピンラウンドを終えた夜、ミーティングで12名が発表された。
やることはやった。小川は必死で祈った。
選ばれてくれ、と。
ポジションごとに名前が呼ばれる中、最後に、ブランはリベロに山本の名を挙げた。
誰も声を発することなく、沈黙が支配する。
俺が悔しさを出したら、選ばれたメンバーが喜べない。しかし、感情を抑えようとしたが、溢れる涙は止められなかった。必死で噛み殺そうと踏ん張っても、嗚咽が漏れて止まらなかった。
「選ばれた側からすれば、そんな姿を見たら気を遣うじゃないですか。だから絶対に嫌だったし、見せたくなかった。でも止まらなくて。自分でもびっくりしました」