元JAYWALK中村耕一の覚醒剤事件から立ち直るまでの道程と映画『はじまりの日』
JAYWALKのボーカリストとして活躍した中村耕一さんが、2010年に覚醒剤取締法違反で逮捕された後、地道にライブ活動を続けていたことが、熱心なファン以外にはあまり知られていなかった。そんな中村さんを主役に据えた映画『はじまりの日』が、公開前から話題となっている。監督の日比遊一氏とともに、作品の見所について語った。
映画はフィクションだが、中村さんが起こした覚醒剤取締法違反の件を含め、ノンフィクション的な要素も強い。日比監督は、中村さんご本人に演じてもらうことで、実際に経験したことや当時の感情を反映させたかったと語る。たとえば、映画の中で同僚が亡くなったことで弔いの曲を歌う場面は、3.11を契機に周囲から頼まれて再び歌い始めたという中村さんのエピソードが元になっている。
中村さんは、日比監督が海外生活が長いことから、自分が起こした事件のことを最初は知らなかったと話す。自分の過去について、監督に詳しく語ったという。日比監督は、裁判の場面では極力、実際に交わされた法廷での会話をセリフにしたと説明。カメラを回している段階で作り物かもしれないが、本人の心情や表情はリアルだと強調する。
中村さんは、覚醒剤は再犯率が高い犯罪だと認識しているが、幸いにも再犯せずに済んでいる。これは自分1人の力だけでなく、家族や周囲のミュージシャン、名古屋という街の支えがあったからだと感謝の気持ちを述べる。彼は、過去のことを思い出して苦しかったが、むしろ「常に思い出しておけ」と自分に戒めていると語る。
映画の中で、竹中直人さん演じる音楽プロデューサーが「お前、バンドのメンバーにも謝っていないじゃないか」と言うシーンがあるが、中村さんは快く受け入れた。日比監督は、中村さんがネイキッド(裸)になってくれたと表現し、この映画は通常のドキュメンタリーよりも本当の中村さんに近づけたと自信を示す。
日比監督は、中村さんが地に足をつけながら日常を生きていることに感銘を受けたと語る。普段からスーパーで買い物をし、天ぷらに衣をつけ、奥様を車で送り迎えするなど、普通の生活を送っている。年間100本以上のライブも行っている中村さんの素の姿を切り取るには、ドキュメンタリーでは難しい面があると指摘する。
映画の中では、清掃員の同僚女性から「まだクスリやってるの?」と尋ねられる場面がある。これは実際に中村さんが清掃員として働いていたわけでも、同じことを言われたわけでもないが、世間の偏見と戦ってきたことは間違いない。日比監督は、フィクションならではのリアリティがあると説明する。
現在、キャンセルカルチャーやデジタルタトゥーの問題があり、世の中全体が失敗した人間に対して許容しなくなっている傾向がある。特に日本では、セカンドチャンスがほとんどない。日比監督は、犯罪者の味方というわけではないが、偉大な人物でも試練や挫折を経験していると指摘し、そうしたテーマに対してメッセージを届けたいと語る。
中村さんは、人間は失敗しても再び立ち上がれるのかというテーマについて、1人では無理だと考えている。彼の場合、周りに味方してくれる人がいたから今のところはなんとかなっていると述べる。完全に立ち直れているかどうかはわからないが、諦めないことが大切だと強調する。
中村さんは、最近、児童養護施設で手伝いをしている。そこで伝えたいことは、「敵ばかりじゃない。否定する人間ばかりじゃない。必ず味方になってくれる人はいる」ということ。「あなたのことをちゃんと見守ってくれている人も世の中に絶対いるんだから」と語る。
日比監督は、映画の中で中村さんが住んでいるアパートが頻繁に登場するが、これは一種のメタファーだという。アパートには、LGBTQの方、片親で複雑な家庭環境を持つ女性、身体障害者、生活に困っている高齢者、過去に不祥事を起こした男性などが住んでおり、社会的に疎外された存在として描かれている。作中には「ここは負けた人間が集まるアパートだ」というセリフもある。
最後に、中村さんは、今の時代は夢すら見ることができない人が大勢いると述べる。あきらめたくないことはあきらめず、叶わないこともたくさんあるが、叶うことだってあると感じてもらいたいと語る。日比監督は、1歩踏み出す勇気が未来を変える最初の音となり、そのわずかな歩みがやがて旋律となり、それぞれのストーリーを奏でることを願っているとメッセージを送った。