「お前、ひとりか?」落合博満が自宅前で語った真意「俺はひとりで来る奴にはしゃべるよ」波風を立てる理由とは?

「お前、ひとりか?」落合博満が自宅前で語った真意「俺はひとりで来る奴にはしゃべるよ」波風を立てる理由とは?

中日ドラゴンズの監督を8年間務め、日本シリーズに5度進出、2007年には日本一にも輝いた落合博満。しかし、彼はフロントや野球ファン、マスコミから厳しい目線を浴び続けた。12人の男たちの証言から、異端の名将の実像に迫ったベストセラー『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』が、新章の書き下ろしを加えて文庫化された。

2006年シーズン、落合監督はドラゴンズのスター選手であり、“聖域”ともいえる立浪和義のポジションを、なんの説明もなく剥奪した。この決定は、チーム内外に大きな波紋を呼んだ。

落合監督は契約の最終年を迎え、周囲には不穏なムードが漂っていた。1年目が終わってから選手と距離を置き、感情をほとんど表現しなくなった落合は、前の年の11月、名古屋市内のホテルで行われた球団OB会の席上で、「来年について言えば、ポジションは3つ空いています」と発言。この言葉で、オフシーズンのゆったりとしたムードは吹き飛んだ。

投手を除く8つのポジションのうち、福留孝介のライト、井端弘和のショート、荒木雅博のセカンド、タイロン・ウッズのファースト、谷繁元信のキャッチャーには他に代わる者が見当たらず、不動であった。そのため、落合の言う空席が、外野の2つと立浪のサードであることは関係者なら誰もがわかった。直前の秋季キャンプで、落合は森野をサードに立たせ、自らノックを打っていたからだ。

翌日の新聞各紙には「立浪、レギュラー白紙」という見出しが打たれ、落合はその日からパッタリと口を閉ざした。2006年が明け、2月の春季キャンプが始まっても、3月のオープン戦に入っても、そのことについては一切語らなかった。報道陣が球場の正面口で待っていれば、わざわざ裏口にまわって撒いた。

立浪への処遇は、心の距離ができつつあった落合と選手たちとの間に、さらに深い溝を掘ることになった。立浪にさえメスを入れるのなら、自分たちに保証されるものなど何ひとつないという、落合に対する畏れと緊張感が広がり、それは不信感と紙一重のところまでチームを侵食していた。立浪は18歳でポジションをつかんでから、どれだけ監督の首がすげかえられても、いつもグラウンドにいた。ファンや、球団を支える地元財界にとってもチームと立浪はイコールであり、ある意味で監督よりも大きな存在だった。

そんなスター選手の処遇を誤り、もし結果が出なければ、逆に落合の首に跳ね返ってくる諸刃の剣でもあった。なぜ、わざわざ波風を立てるのか。なぜ、落合は今あるものに折り合いをつけることができないのだろうか。落合は1年目にはセ・リーグを制し、2年目も2位と確実に結果を出していた。わざわざ、そんなリスクを冒してまで何を求めるのか。無言の裏に何を語っているのか。

この疑問を解くために、私は落合邸を訪ねた。関東で試合が行われる日の落合は、チームが宿泊するホテルではなく世田谷の自宅から通うのが常だった。午前11時には家を出るはずだった。私はガレージの前に重たい鞄を置いて、そこに立っていた。

やがて迎えのタクシーが到着し、落合邸の前に停止した。玄関の錠を外す音が静寂を破り、門扉から姿を現した落合は、突然の訪問者に驚くふうでもなく、私を見るなり、まず訊いてきた。

「お前、ひとりか?」

落合は私の返答を待たず、自ら辺りを見渡して他に誰もいないことを確認すると、後部座席に乗り込んだ。そして、私に向かって反対側のドアを指さした。「乗れーー」

車は静かに動き出した。落合はシートにゆったりと身を沈めたまま言った。

「俺はひとりで来る奴には喋るよ」「別に嫌われたっていいさ」

私は自然に最初の問いを発することができた。

「なぜ、自分の考えを世間に説明しようとしないのですか?」

落合は少し質問の意味を考えるような表情をして、やがて小さく笑った。

「俺が何か言ったら、叩かれるんだ。まあ言わなくても同じだけどな。どっちにしても叩かれるなら、何にも言わない方がいいだろ?」

落合は理解されることへの諦めを漂わせていた。メディアにサービスをしない姿勢は世に知れ渡っていた。私は活字として日々の紙面に載る「無言」の二文字が、落合の無機質なイメージを助長し、反感を生み、敵を増やしているように見えた。そう伝えると、落合はにやりとした。

「別に嫌われたっていいさ。俺のことを何か言う奴がいたとしても、俺はそいつのことを知らないんだ」

言葉の悲しさとは裏腹に、さも愉快そうにそう笑うと、窓の外へ視線をうつした。

本音なのか、虚勢を張っているのか、私には判断がつかなかった。自ら孤立しようとする人間など、いるのだろうか。

車はやがて細い住宅街の路地から、片側三車線の環八通りに出た。沈黙の車内にはタイヤがアスファルトに擦れる音だけが響いていた。私はゴクリと生唾を飲み込むようにして、その沈黙を破った。

<続く>