中日ドラゴンズ・立浪和義監督の3年間:期待と挫折

中日ドラゴンズ・立浪和義監督の3年間:期待と挫折

2021年10月29日、中日ドラゴンズの新任監督として立浪和義監督の就任会見が名古屋市内のホテルで盛大に開催されました。立浪監督は、特製のスーツに身を包み、金屏風と大島宇一郎オーナーが同席する中、意気揚々と新任の挨拶を行いました。前任の監督の就任時とは比べものにならない「待遇」が、球団内外からの大きな期待を示していました。

立浪監督の就任:悲願の実現

立浪監督の就任は、中日ファンにとって大きな期待の対象でした。生え抜きのスター選手が監督に就任することは、古くからの「竜党」にとっても東海地区の政財界にとっても悲願でした。前任のオーナーや球団代表が退任し、新しい方針が打ち出されました。立浪監督は2009年の現役引退以来、初めて中日のユニフォームを着ることになりました。長い間、グラウンドから離れていたことによる「現場感」の欠如を懸念する声もありましたが、その不安は高揚感に押しやられました。10年前の落合博満監督時代に築いた黄金期から遠ざかっていた中日ドラゴンズが、立浪監督のもとで再び変革を遂げるという希望が膨らみました。

就任1年目:挫折の始まり

しかし、期待とは裏腹に、就任1年目の2022年は6年ぶりの最下位に沈みました。この結果は大きなショックを与え、特にその年のオフにおける主力選手の相次ぐ放出が議論を呼びました。阿部寿樹と京田陽太という、二遊間のレギュラーを失うことは、多くのファンにとって衝撃的でした。阿部は30代半ば、京田は打撃不振が続いていたことは事実ですが、立浪監督にとっては「センターラインを固める」という重要課題のための大胆な決断でした。

指揮官としての課題

立浪監督の2年間で、絶対的な二遊間レギュラーを誕生させることが目標にはなりませんでした。ドラフト戦略だけでなく、外国人選手や他球団からの戦力外選手らを積極的に獲得しましたが、固定するまでには至りませんでした。打線も安定せず、日替わり状態が続きました。指揮官にとっては勝利のための意志ある決断でしたが、結果が伴わず、「好き嫌いでやっている」という批判も少なからずありました。

打撃の問題

打撃力の不足も大きな問題となりました。「打撃についてはなんとかします」と就任会見で述べた立浪監督でしたが、結局、2023年は12球団中ワーストのチーム得点390点、1試合平均2.73点と苦しむこととなりました。強固なセンターラインと打力の改善は、立浪監督が明確に宣言した2つの約束でしたが、果たせずに終わりました。

SNSでの評価

SNSでは立浪監督が格好の的となりました。「米騒動」などの報道が尾を引き、失笑のネタにされました。また、9回敗色濃厚の状況で若手投手を連続で投げさせ、10失点する惨状が「晒し投げ」というワードでトレンド入りしました。問題のある負け方が続くたびに、ファンからの退任要求の声も高まりました。

次代への財産

しかし、立浪監督の3年間はすべてが否定されるわけではありません。多くの若手選手が成長し、次世代の主力となる予感がありました。岡林勇希は2022年に最多安打のタイトルを獲得し、2023年もベストナインとゴールデングラブ賞を2年連続で獲得。22歳ながら、中日ドラゴンズの不動の存在になる可能性が十分にあります。また、細川成也は2年連続で20本塁打を記録し、待ち望まれた和製大砲となりました。投手陣でも、22歳の高橋宏斗は12勝4敗、防御率1.28と大活躍。立浪監督の大胆なチーム改革は、スター監督だからこそ成し得た強権でもありました。

観客動員とスポンサー

本拠地の観客動員数は増加傾向にあり、試合の冠スポンサーも近年にない盛況ぶりでした。「立浪監督のおかげ」と述べる球団スタッフは少なくありません。また、立浪選手時代に心を躍らせた当時の若いファンが、壮年となって再びドームを訪れるようになったとの声も聞かれました。

退任への反応

立浪監督の退任表明から一夜明け、ファンからは労いの声も寄せられました。X(旧ツイッター)には、「心のどこかで『立浪ドラゴンズ』で勝ち上がりたい夢がまだあったのかな」「名選手が監督になって批判されまくりの姿を見るのはつらい」というコメントも見られました。誰もが最初から否定したかったわけではない。弱くなった中日を、ドラゴンズの象徴が立て直すという青春ドラマのような筋書きを渇望していたため、その落差があまりにも大きかったのです。

低迷期からの脱出

立浪監督が去った後も、低迷期は続くかもしれませんが、責任は監督一人が背負うものではありません。他の首脳陣、選手、フロントも含めて、暗黒の3年間から目を背けず、次期監督とともに新たな舵を切る必要があります。名古屋の夜明けは、そう遠くないところにあるはずです。