落合博満監督の決断…「予告なし」で立浪和義を外し、チームに新たな風を吹き込んだ瞬間

落合博満監督の決断…「予告なし」で立浪和義を外し、チームに新たな風を吹き込んだ瞬間

中日ドラゴンズの監督を8年間務め、日本シリーズに5度進出、2007年には日本一にも輝いた落合博満。しかし、彼はフロントや野球ファン、マスコミから厳しい目線を浴び続けた。12人の男たちの証言から、異端の名将の実像に迫ったベストセラー『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』が、新章の書き下ろしを加えて文庫化された。

特に注目されるのは、2006年シーズンに立浪和義を外した場面だ。立浪はドラゴンズのスター選手であり、“聖域”ともいえる存在だった。落合監督は予告なしに立浪のポジションを剥奪した。

新人時代からスポットライトを浴び続けてきた立浪は、同時に栄光の代償も引き受けてきた。ゲームでは最も重圧のかかる場面で、全員の願いを背負って打席に立ち、敗れればチームを代表してカメラの前に立った。とりわけ立浪を別格の存在に押し上げたのが、1994年の「10・8決戦」だった。シーズン最終戦で巨人と同率首位だった中日は、10月8日にナゴヤ球場で直接対決し、歴史的なゲームとなった。中日は敗色濃厚の8回裏、立浪が内野ゴロにヘッドスライディングで1本のヒットをもぎ取り、左肩を脱臼しながらも勝利への執念を示した。

監督としてクビのかかった試合、1点ビハインドの9回裏ツーアウト満塁で打席に立たせるとしたら、誰を送るか? 球団関係者は迷わず立浪を選んだ。立浪は球団に関係するあらゆる人間が、何かを託すに足るだけのものを示してきた。その結果、立浪は多くの特権を手に入れた。ドームの駐車場では入口の一番近くに車を停めることができ、移動の飛行機や遠征先のホテルの部屋も優先的に手配された。ベンチでは二列あるうちの前列真ん中が指定席だった。

歴代の監督にとって、立浪をベンチに座らせるには理由が必要だった。しかし、落合は無言のうちに立浪を外した。「これは俺にしかできないことだ。他の監督にはできない」。落合の言葉は、そのような意味だった。

メンバー表に立浪の名前はなく、サードには森野将彦が起用された。ゲームが始まり、立浪はベンチの真ん中に座ったまま、森野を見つめていた。その日の落合は、立浪をゲーム終盤の代打で起用したが、立浪は三振に倒れ、チームは1点も取れずに敗れた。