『侍タイムスリッパー』と「SHOGUN 将軍」: 時代劇への情熱とその未来

『侍タイムスリッパー』と「SHOGUN 将軍」: 時代劇への情熱とその未来

『侍タイムスリッパー』に込められた時代劇への熱き想い

2024年9月17日、アメリカの優れたテレビ番組に贈られるエミー賞で、真田広之がプロデュースと主演を務めたドラマシリーズ「SHOGUN 将軍」が作品賞を含む史上最多の18部門を受賞した。この世界的な話題の1か月前の8月17日、東京の池袋シネマ・ロサで1館のみの上映から始まったインディーズ映画『侍タイムスリッパー』が、SNSを中心とした映画ファンの口コミによって評判が広がり、100館以上の全国規模に公開が拡大され、大きな話題となった。

『侍タイムスリッパー』の物語

『侍タイムスリッパー』の物語は幕末から始まる。京都で幕府側として活動する会津藩士の高坂新左衛門(山口馬木也)は、倒幕派の長州藩士を討つという密命を受け、標的となった侍と対峙し刃を交える。しかし、その刹那に新左衛門は落雷に討たれ、目を覚ますと現代の京都にある時代劇の撮影所へとタイムスリップしていた。自分が守ろうとしていた江戸幕府が滅んだ未来の世界に来たことを知ってショックを受けた新左衛門は、一度は死を覚悟するも、助監督の山本優子(沙倉ゆうの)や西経寺の住職夫妻に助けられ、現代にもなじんでいく。

新左衛門の新たな道

そんな中、新左衛門は偶然時代劇の“斬られ役”の仕事を引き受ける。これをきっかけに、過去から来た侍である自分が、現代社会で身を立てることができるのは“斬られ役”であると確信。時代劇の殺陣師として有名な関本(峰蘭太郎)への弟子入りを志願する。ようやく自分の進む道を見つけた新左衛門は、数多くの時代劇に出演し、“斬られ役”として名前が知られるようになるが、テレビや映画としての“時代劇”の衰退は目に見えてはっきりとしてくる。やがて、新左衛門に大きなチャンスが訪れる。

消えゆく“時代劇”ジャンル

本作のポイントは、斜陽ジャンルとなりつつある“時代劇”にかつて本物の侍だった男が真摯に向き合い、“時代劇”を文化として守りたいと思うようになる心の動きにある。そして、消えてしまったことで豊かな社会が築かれることになった“侍”の存在、自分が“侍”であったことの矜持が、せめて時代劇として残しておきたいという想いにつながっていく。

本作は現代が舞台となっているが、時間軸的にはスマートフォンが登場する以前であり、まだかろうじて時代劇が地上波のテレビで放送されているタイミング、つまり1990年代の後半ごろを背景にすることで、その時代性と新左衛門の生き方の変化をより顕著にしている。

時代劇の歴史

時代劇は1950年代ごろまでは映画がメインだったが、1960年代にテレビの普及に伴い映画からテレビへと軸足を移し、1970年代にかけてテレビだからこそのバリエーション豊かな時代劇が作られることになる。時代劇が新た隆盛の時代を迎える一方で、「水戸黄門」や「遠山の金さん」「暴れん坊将軍」などのヒットによって、“勧善懲悪もの”“ワンパターンな内容”という時代劇のイメージが定着し始め、視聴者層が固定化されると人気に陰りが見えてしまう。

1980年代に入り、日本テレビが制作した年末時代劇「忠臣蔵」「白虎隊」が高視聴率で注目を浴び、続いてNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」のヒット、さらにフジテレビが制作した「鬼平犯科帳」が成功したことで、新たな可能性を得た時代劇は再び脚光を浴びるようになった。しかし、ブームになると再び時代劇が多数量産され、90年代初頭には年末年始は大作ドラマとしての時代劇が多数作られるようになりクオリティも低下。さらに、1994年に個人視聴率の調査が始まり、時代劇は高齢者しか観ていないことが明らかとなり、テレビ局は次々と時代劇を打ち切っていくことになる。

殺陣師の存在

新左衛門の想いに強く絡むことになるのが、師匠となる殺陣師の関本。作中では詳しく語られないが、その描かれ方を見ると、1960年代から映画やテレビ時代劇で斬られ役などを演じつつ、時代劇の殺陣を身に付けて活躍してきた人物であり、「5万回斬られた男」とも言われた福本清三がモデルとなっていることがわかる。福本はトム・クルーズ主演の『ラスト サムライ』(2003)にも出演し、世界に斬られ役の妙技を披露した。真田広之も若いころから福本と共演して厚い信頼が置かれていた。本作で関本を演じる峰蘭太郎も斬られ役として長年時代劇に関わっていた人物であり、2021年に逝去した福本の代役という思いで本作に出演したとコメントしている。晩年になって関本の偉業に注目が集まったことで、“斬られ役”という仕事にもようやく日が当たるようになった。

時代劇への愛情

なかなか注目されず、時代劇が無くなってしまえば消えてしまう裏方の仕事、“斬られ役”。江戸幕府が滅びれば近代化が進み、消えてしまう存在だった“侍”。幕末でも、現代でも新左衛門は“終わりかけた存在”に立ち会う身であり、さらには侍の終わりには立ち会うことができず、侍の魂が受け継がれている斬られ役の黄昏に立ち会っている状況に置かれる。この多重的な構造、そして侍は時代の流れで消えていったが、斬られ役=時代劇を消さずに残すことにどう向き合うかが物語の中盤以降の主軸となっている。

コメディとしての描き方

本作のもうひとつのポイントは、文字にするとシリアスになってしまう“ジャンルの衰退のなかにある時代劇”を主軸にしながら、一貫して明るい雰囲気をまとったコメディとして描き切っていることにある。時代を超えて現代にやってきた侍の異文化交流コメディとして物語をスタートさせ、現代に馴染んでいく姿をホームコメディとして描く流れは、これもかつて日本のテレビドラマにはよくあった“アットホームなドラマ感”を思い起こさせるような雰囲気も持っている。こうした作風は、時代劇だけではなく、古きよきテレビの時代へのリスペクトが込められているのかもしれない。また、コメディというスタイルだからこそ、エンタテインメントとしてなかなか興味を引いてもらうことができなくなっている時代劇の取り巻く環境や状況を「楽しませながら」伝え、理解してもらい、観客に思い入れを持ってもらうことができたのだろう。

「SHOGUN 将軍」の快挙

小さな存在である『侍タイムスリッパー』が話題となっているタイミングと重なる形での「SHOGUN 将軍」のエミー賞受賞は、日本においても時代劇の復権に大きな影響を与えることになるかもしれない。海外では時代劇の表現に対する評価が高く、特に黒澤明の『七人の侍』(1954)、『隠し砦の三悪人』(1958)、『用心棒』(1961)などはレジェンド級の作品として愛され続けており、「スター・ウォーズ」シリーズは現在でもその影響下にあることは間違い無く、ハリウッド映画でもブラッド・ピット主演の『ブレット・トレイン』(2022)で真田広之が演じるエルダーに代表されるような、侍をモチーフにしたキャラクターが登場することは多い。また、話題となっている「SHOGUN 将軍」も1980年にアメリカ本国で製作され三船敏郎が出演して大ヒットした、日本の時代劇を大いにリスペクトして製作したドラマ「将軍 SHŌGUN」のリメイクであることから、まさに尊敬の念が込められて時代劇が扱われているように見える。

『侍タイムスリッパー』と「SHOGUN 将軍」

多額の予算を使って海外で製作され、大きな話題性で世界のエンタメ業界の話題となった「SHOGUN 将軍」と、低予算で小規模公開から話題を広げた『侍タイムスリッパー』。「SHOGUN 将軍」は、高い再現性と重厚なドラマによる王道たる時代劇としての迫力を伝え、『侍タイムスリッパー』は現代劇のコメディながら時代劇にとって大切なことを伝える映画となっている。その立場は、まさに表と裏と言えるような存在だと言えるだろう。しかし、通底する意思には大きな違いはない。「SHOGUN 将軍」のエミー賞の受賞にあたり、真田広之は「オーセンティック(正統)にこだわった」ということを強調していた。正統な時代劇を海外で作ることにこだわったということだ。その“正統”とは、時代劇としての様式や描き方、在り方という要素が大きいだろう。しかし、“正統”に関しては『侍タイムスリッパー』も負けてはいない。自主映画で低予算のために実現が危ぶまれながらも、時代劇を愛し、リスペクトする思いを込めて書き上げられた脚本に“正統性”があったからこそ、その脚本を読んだ東映京都撮影所が全面的に協力することを申し出て、自主映画の撮影チームによる奇跡とも呼べる東映京都での撮影を可能とし、映画として完成させることができたのだ。

未来への期待

「SHOGUN 将軍」と『侍タイムスリッパー』は、アプローチは違えど“時代劇”にかける想いは同じであり、どちらもこれからの時代劇に大きな変化をもたらしてくれるに違いない。ちなみに、『侍タイムスリッパー』のポスタービジュアルは、かつて真田広之が主演したアメリカの西部を舞台にした岡本喜八監督が手掛けた時代劇『EAST MEETS WEST』(1995)のポスタービジュアルをリスペクトしたものとなっている。『侍タイムスリッパー』のポスタービジュアルを手掛けた監督の安田淳一もここで真田広之と不思議な繋がりを持つとは予想していなかっただろう。この偶然の一致が、次なるなんらかの繋がりになるのではないかと、映画ファンとしては夢想せずにはいられない。