中日・立浪監督、今季限りで辞任を発表

中日・立浪監督、今季限りで辞任を発表

中日・立浪監督、今季限りで辞任を発表

18日、中日の立浪和義監督(55)が今季限りで辞任することを電撃発表した。この日の阪神戦敗北により、7月29日以来の最下位に転落し、クライマックスシリーズ(CS)進出の可能性はほとんどなく、4年連続Bクラスが濃厚となったことから、成績不振の責任を取って決めた。

この日の試合後、立浪監督は球団側に申し入れを行い、その場で了承された。最終戦となる10月6日のDeNA戦(バンテリン)まで指揮を執る予定だ。

立浪監督の在任期間は、3年契約の最終年となった今年が勝負の年だった。球団史上初の2年連続最下位に沈んだ昨季からの逆襲を期したシーズンだったが、結果は残念なものとなった。立浪監督は淡々と語った。

「今シーズンは勝負の3年目に結果を出さなければならなかった。しかし、得点力不足が露呈し、結果を出せなかった。これは自分の責任であり、簡単な判断ではないが、けじめをつけなければなりません。」

4月には6連勝し、一時は首位に浮上するなど好スタートを切った。しかし、混戦模様のセ・リーグで得点力不足が顕在化し、チームは徐々に失速した。尤其是在、奏効するはずだった4番候補の中田が腰の違和感で離脱するなど、チームの不振が重なった。

「球宴明けで借金8の段階までなりましたが、それでもチャンスはあると信じて取り組んできました。しかしながら、同じような形での敗戦が続き、3年目に勝負をかけると言われた就任時の約束を果たすことができませんでした。結果が全ての世界であり、監督が責任を取ることは当然です。」

残る9試合で3位・広島とのゲーム差は大きく開いており、CS進出の可能性は絶望的だ。4年連続Bクラスが濃厚となる中、球団は現体制を含めた検証作業を始める。後任候補としては、井上一樹2軍監督、和田一浩1軍打撃コーチ、球団OBの山崎武司氏らがリストアップされている。

1969年8月19日生まれの大阪府出身の立浪和義氏は、PL学園時代に3年時主将として春夏連覇を達成し、87年ドラフト1位で中日に入団した。88年には新人王を獲得し、03年には歴代1位の487二塁打を含む2000安打を達成。2586試合で打率.285、171本塁打、1037打点の成績を残し、09年に現役引退した。13年にはWBC日本代表の打撃コーチを務め、19年に野球殿堂入りを果たした。右投げ左打ちの立浪氏は、22年に中日監督に就任し、ドラゴンズの顔として活躍してきた。

立浪監督の突然の辞任は、球界に大きな衝撃を与えている。志半ばでの去り方であるが、彼の人格と実績は常にファンに尊重され続けるであろう。