巨人軍、4年ぶりのリーグ優勝!阿部監督の手腕と選手たちの努力が結実

巨人軍、4年ぶりのリーグ優勝!阿部監督の手腕と選手たちの努力が結実

広島対巨人 リーグ優勝を飾りナインに胴上げされる巨人阿部監督

28日、マツダスタジアムで行われた広島対巨人の試合。巨人は8対1で勝利し、20年以来4年ぶりのリーグ優勝を果たした。新人監督の阿部慎之助監督(45)が、就任1年目でチームを優勝に導いた。この勝利により、ペナントレースの優勝争いは141試合目で決着した。巨人はマジック1で迎えたこの一戦を自力で制し、歴史的な大混戦を制覇した。

感動の瞬間

試合終了後、阿部監督は広島の夜空に舞い上がった。涙ながらに宙を舞う阿部監督の左腕には、キラリと光る特別な腕時計が輝いていた。この時計は、12年の日本一達成時に特注したフランクミュラー社製のもので、白色の文字盤には「Giants」のロゴが刻まれ、シリアルナンバー「010」が刻まれている。阿部監督は、開幕前の3月29日にこの時計を久しぶりに手に取り、サイズを調整して試合に臨んだ。

優勝の要因

優勝の要因について、阿部監督は「チーム力だと思います。全員が同じ方向を向いてキャンプから始まった。誰ひとりそっぽを向かなかった」と力強く語った。2軍監督時代には手帳に「前後際断」と記し、過去も未来も断ち切り、今、この時だけに集中した。

重圧と挑戦

昨年12月、阿部監督は自室のショーケースから11年前の「日本一」の記念品を取り出した。その中には、12年の日本一達成時に特注した腕時計が保管されていた。開幕前の3月29日、この時計が特別な時間を刻み始めた。

名将から受け継いだバトンは、とてつもなく重かった。通算17年の指揮で9度のリーグV、3度の日本一に導いた原辰徳前監督と同じ背番号83で戦った。6月上旬の交流戦では6連敗を喫し、貯金を吐き出し、勝率5割付近を行き来した。阿部監督は「今は(チーム状態が)底だと思ってやるしかない。ここからは上がるだけだしね」と気丈に振る舞った。しかし、極秘で2度の精密検査を受け、幸い大事には至らなかった。

監督としての哲学

監督就任会見で、阿部監督は「強いチーム」と「愛されるチーム」の両輪を掲げた。就任決定から2日後に大手町の球団事務所にあいさつに訪れ、「静かすぎませんか。どんよりしてますよ。BGMをかけて、明るくいきましょうよ」と職員に呼びかけた。山崎福のFA交渉では自ら交渉の席につき、思いと誠意を伝えた。日本ハム入りで獲得にはならなかったが、「ここでプレーしたいと思われるようなチームにしないといけない。もっと魅力的な球団にならないと」と危機感を抱いた。

勝利への道

開幕前に東京ドームの監督室に徳川家の菩提寺、増上寺のお守りを置いた。天下統一の恩恵を受ける勝ち守りをにぎりしめた。122試合目、9月5日ヤクルト戦では戸郷を中4日で先発させ、最終コーナーで首位に立った。「みんな必死にやっている」とミスは責めず、背中を押した。選手を信頼し、「力はある。それを発揮させるのが監督の役割」とモチベーターに徹してきた。

感動の瞬間

新風に乗ったこの夜の歓喜はひとしお。坂本も岡本和也も泣いた。選手たちが待つマウンドで10度、宙に舞った。開幕前に激励会の壇上で「やってやろうじゃねぇか!」と声を張り上げ、駆け出した戦いはまだ道半ば。12年ぶりの日本一へ、最高の歓喜まで風に乗り切る。

巨人球団史

日本初のプロ球団として1934年(昭9)12月に創設された大日本東京野球倶楽部が前身。当時、読売新聞の正力松太郎社長が招いた大リーグ選抜と対戦した全日本チーム(沢村栄治、水原茂、三原脩、中島治康ら)を母体とし、翌35年に東京巨人軍と改称。02年に読売巨人軍と改めた。プロ野球の公式戦がスタートした36年秋に初優勝し、1リーグ時代に9度優勝。セ・リーグ優勝は川上監督時代に王貞治、長嶋茂雄のON砲を擁して達成した9連覇(65~73年)など今回で39度目。日本シリーズ優勝22度。オーナーは山口寿一氏。

阿部慎之助のプロフィール

1979年(昭54)3月20日生まれ、千葉県浦安市出身。安田学園-中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。04年4月に当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、MVP、正力松太郎賞。17年に通算2000安打。19年現役引退。通算2282試合、2132安打、406本塁打、1285打点、打率2割8分4厘。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。20年から2軍監督。22年から1軍コーチを務め、今季1軍監督に就任。00年シドニー五輪、08年北京五輪、09、13年WBCで日本代表。180センチ、88キロ。右投げ左打ち。

この優勝は、阿部監督の手腕と選手たちの努力の結晶であり、巨人軍の新たな歴史の始まりとなることだろう。12年ぶりの日本一へ、最高の歓喜まで風に乗り切る。【為田聡史】