巨人の復活:阿部慎之助監督の手腕とチームの結束力

巨人の復活:阿部慎之助監督の手腕とチームの結束力

巨人の復活:阿部慎之助監督の手腕が光る

9月28日、マツダスタジアムで行われた広島戦で8-1の大勝を収めた巨人は、4年ぶり39度目のセ・リーグ制覇を果たした。阿部慎之助監督(45)は就任1年目にして、昨季まで2年連続Bクラスに沈んでいたチームを一気に頂点へと引き上げた。これは、球団史上初の捕手出身監督ならではの采配が原動力となった。

開幕前は阪神の2連覇を予想する声が多かった中、大混戦となったペナントレースを制した阿部監督の手腕は際立っていた。球団創設90周年の節目で、名門球団を鮮やかに復活させたサクセスストーリーの伏線は既に昨年から張られていた。

阿部監督の決断と球団の対応

複数の球界関係者の証言によると、阿部監督はヘッドコーチだった昨季、一度は球団に辞意を申し入れたという。その一人が語る。

「不振の責任を取ってナンバー2であるヘッドが引責辞任するというのは巨人ではよくあることでした。ただ、阿部監督の場合はそれだけが理由ではなかったようです。新任のデーブ(大久保博元打撃コーチ)とは攻撃面の意見が合わなかった上、原監督の存在が大き過ぎたため、各コーチが自分の担当部門の数字をアップさせることしか考えていないような雰囲気にも嫌気が差し、一度外から野球を見ることを決意したとのことです」

確かに原監督は、V9の川上哲治氏や「ミスタープロ野球」長嶋茂雄氏を超え、巨人監督史上最多の勝利数を挙げた名将だった。三顧の礼を受け、2019~23年の3度目の監督就任と相成った。しかし、巨人は将来の監督候補として帝王学を施してきた人材の流出を阻止することを優先した。

「(阿部監督には)24年から監督に就任させることで、引き留めたと聞きます。以前から松井(秀喜)は監督就任のタイミングが合わず、由伸(高橋)も監督復帰に難色を示していました。次の監督候補が限られる中で、球団が大事な人材(阿部監督)を失うことは何としてでも回避したかったのでしょう」(別の球界関係者)

1年前倒しの阿部政権

1年前倒しとなった阿部政権は、最短でも原監督の契約が切れる今オフに誕生していたはずだった。しかし、巨人の選択は結果として吉と出た。

昨オフ、オリックスからフリーエージェント(FA)宣言した山崎福也投手は日本ハムに奪われた。開幕直後には阿部監督と親交が深い筒香嘉智外野手が米球界から復帰する際に争奪戦に参戦したものの、これもDeNAに敗れた。かつてお家芸だった補強策が不発に終わっても優勝できたことは、阿部監督のマネジメント能力であり、原監督に退任の道筋をつけ、阿部監督を選択した巨人の好判断と言えそうだ。

阿部監督の変化とチームのまとまり

阿部監督は当初、指導者の資質に疑問符が付いていた。現役時代に日本シリーズでバッテリーを組んだ中大の後輩、沢村拓一投手(ロッテ)がサインを見落とすと、大観衆の前で頭をはたいたり、2軍監督時代にはプロアマ交流戦で早大に負けると、選手に罰走を科したりと「パワハラ気質」が見え隠れしていたからだ。

それを自覚してか、監督として初仕事となった昨年の秋季練習の初日、こう所信表明している。

「僕も変わりますし、みんなも変わって欲しい。伸び伸びとやって欲しい」

阿部監督は「実際、変わった」。優勝経験がある元NPB球団監督が指摘する。

「実際、変わったと思います。チーム関係者に聞いても、厳しさがあっても理不尽なことはほとんどなく、やりやすい監督になっていました。選手起用は若手を登用しつつベテランを生かし、好き嫌いではなく、一貫性がありました。さすが捕手出身監督という好采配は少なくありませんでした。昨季は離れて座りがちだったコーチ連中が、ひと塊になっていることが多かったところにもまとまりを感じました」

「フォア・ザ・チーム」の精神

一貫性という点でぶれなかったのは「フォア・ザ・チーム」の精神だ。阿部監督は就任時、選手に「自己犠牲」を強く求めた。コーチ時代にこれが欠如していることを痛感していたからだ。

メジャー通算178本塁打の新外国人、ルーグネット・オドーア外野手の前代未聞の開幕前の退団劇が象徴的だった。オープン戦で結果が出なかったことを理由に開幕メンバーから外れることを伝えると、これを拒否。しかし、阿部監督は譲歩することはなかった。

不振の元凶・中田を放逐

21年8月、原前監督が栗山英樹監督(当時)とのホットラインを通じ、日本ハムで暴力問題を起こした中田を無償トレードで獲得した際、選手、コーチを含め巨人関係者の多くが違和感を覚えていた。

「阿部監督もその一人でした。実際にチームは(同年)中田の移籍を機に優勝争いから後退していきました。中田獲得が昨季までの長い不振の起点だったとみていた人は少なくありません。だからこそ阿部監督は自分が監督をやる時には中田を使うつもりはなかったのでしょう。構想の初期段階から中田を外し、結果的には移籍を促すことになりました。複数契約でしたが、オプトアウトを契約に盛り込んでいたことも功を奏したと思います」(チーム関係者)

「中田獲得」から始まった巨人の低迷。阿部監督は前任者の尻ぬぐいをしながら、わずか1年で終止符を打った。優勝を決めた試合後のインタビューで、史上稀に見る混戦を抜け出した要因を力強く挙げる声が広島の夜空に響いた。

「チーム力だと思います。全員同じ方向を向いてキャンプから始まったこと、誰一人ソッポを向かなかったことだと思います」

結論

阿部慎之助監督の手腕とチームの結束力が、巨人の復活を支えた。4年ぶり39度目のセ・リーグ制覇は、球団創設90周年の節目に相応しいサクセスストーリーとなった。