生成AIの台頭と倫理的創造性: 社会への影響と未来の課題
生成AIの登場と社会への影響
生成AIの登場は社会に大きな変化をもたらし、私たちはその利便性を享受しています。しかし、その一方で、生成AI社会に潜む倫理的課題は後を絶ちません。具体的には、「学習型のチャットボットが差別的発言を繰り返す」「採用人事で男性に優位な判定を下す」「著作物を無断で学習データとして読み込む」「偽情報の生成・拡散が簡単に行われる」「膨大なエネルギー消費による環境破壊」など、さまざまな問題が指摘されています。
私たちは、知らず知らずのうちに大規模な搾取に加担してしまっているのでしょうか。また、これからの社会で求められる倫理とはどのようなものなのでしょうか。本コラムでは生成AIが抱える問題点に触れながら、これからの社会に必要な「倫理的創造性」について迫ります。
生成AIの影響と職場の変化
生成AIの登場が仕事にどのような影響を与えるかを正確に予測することは困難です。とはいえ、文書作成や翻訳、プログラミング、デザインなど、定型的なタスクとはいいがたい領域にまで影響があることは避けられないでしょう。つまり、従来であれば多かれ少なかれ創造性が必要とされていた領域にまで自動化の範囲が広がってきています。
実際、いくつかの動きが出てきています。ドイツのタブロイド紙『Bild』の発行元は、AIの利用を強化する一方で、数百人規模の人員削減を計画しています。ニュースサイトのCNETでも、AIを用いた記事の生成を開始する一方で、主要メンバーのおよそ10%を解雇しています。CNETは、AIを使った記事に誤りや盗用があったために一時的に利用を中止しましたが、今後もAIの利用を強化する方針を打ち出しています。
芸能界での影響
脚本家や俳優の組合もアメリカでストライキを行いました。ChatGPTを使い、これまでの脚本が機械学習にかけられて新たな脚本が生成されてしまうと、脚本家としての仕事がなくなってしまいかねません。また、多方面から俳優を撮影して全身や動きのデータを保存しておけば、それらの画像データからさまざまな画像や動画を新たに生成することが可能です。服を変えたり光のあたり具合を変えたりして、さまざまなことに応用できます。こうして生成された新たな画像や動画は、映画や番組に使うことができるだけでなく、ゲームやCMにも利用できるでしょう。
これは音声についても同じです。声優の声を録音しておけば、そこから新たに音声を生成することができます。このようなコンテンツの生成は、当然、賃金と関係します。1日で撮影や録音が終わるとなると、たった1日分のギャラしかその俳優・声優には支払われないことになってしまいかねないからです。データさえ十分に取れれば、あとはAIでコンテンツを生成していくことができます。たとえ俳優や声優が亡くなったとしても生成していくことができます。
労働組合の対応
脚本家の組合は2023年9月に、俳優の組合は2023年11月に合意に達しました。その結果、脚本家はAIの学習データとしての脚本利用を拒否する権利などをもつことになりました。俳優は、自身の画像等のデータを元にして新しくデジタル・レプリカが作られ、それが別の作品に転用される場合には同意などを求めることができるようになりました。
歴史的な視点
このような機械による失業あるいは失業への恐れは、いまにはじまったことではありません。歴史上、何度も繰り返されています。もっとも有名なのは第一次産業革命のときにイギリスで起きたラッダイト運動です。多くの労働者が紡績機によって職を失うことに不安を覚え、機械や工場を打ち壊したり労働環境の改善を求めたりしました。
日本でも同様のことはあります。1954年に郵政省が事務機械を導入しようとしたところ、人員整理がはじまるかもしれないという不安が強まり、座り込みの反対闘争が行われました。結果として郵政省は事務機械の導入を見送っています。
未来の創造性
今後さらにコンピュータが高度化・ネットワーク化・遍在化していき、生成AIのレベルも向上していくことを考えると、「これからは創造性が大切である」といったとしても、そう簡単なことではありません。コンピュータは、もはや単なる定型的なタスクを行うだけではないからです。
もしこれから創造性が大切になるなら、創造性とはいったいなにか、これから重視するべき創造性とはいったいなにかについて、正面から深く考えていく必要があるでしょう。正直にいいますと、このテーマは、私自身にとっても本当に大切です。研究者は、創造性の一要素である「新しさ」のあることをしないと評価されないからです。そのため自分なりの創造性を作り出していかなければなりません。
また教育者として未来を担う学生を育てる立場からも創造性に向かいあわなければなりません。すでに大学では2000年代に生まれている若者が圧倒的多数です。人生100年時代が本当なら、そういった人たちは2100年の社会を目にします。プラグマティズムを展開したジョン・デューイは、「教育者は他のどのような職業人よりも、遠い将来を見定めることにかかわっている」(デューイ 2004: 121)といいました。不確実性が増しているなかで、遠い将来を見通すことはきわめて困難になっていますが、それでも教育者は未来と向かいあうことが求められています。
創造性と倫理
創造性が求められているいま、創造性をどのようなものと考え、どのようにして学生の創造性を育めばよいのでしょうか。創造性と同時に、コンピュータ技術にかかわる倫理についても考えなければなりません。というのもコンピュータを含めた技術の社会的影響があまりにも大きくなってきており、単に作りたいものを好き勝手に作ることが許されなくなってきているからです。コンピュータについても、コンピュータ技術を介して社会をよくする倫理が欠かせなくなっています。
倫理は、人々の間にある秩序や歩む道、習わしのことをいいます。「倫理」という漢字は、「倫」と「理」からできています。「倫」は、「なかま、秩序」を意味します。「理」は、「ことわり、すじ道」のことで秩序の意味を強めています。このことから、倫理を考えることは、私たちの秩序をどのように形成していくかを考えることだといえるでしょう。
私たちは、たった一人で生きているわけではありません。他者と交わらずに、たった一人で生活や仕事をしているわけではありません。そしてテクノロジーと無縁でいることも難しいといえます。どのように他者と接するか、どのようにテクノロジーを社会のなかに位置づけ社会生活を営んでいくか。こうしたことを考えつづけることこそが倫理的な行為であり倫理的なプロセスなのです。
情報モラルと倫理
よく情報モラルという言葉が使われます。日本の教育現場では、40年ほど前から「情報倫理」ではなく「情報モラル」教育が展開されてきました。「SNSで友だちの顔写真を勝手に発信してはならない」「スマホを使いすぎてはならない」などと「……してはならない」ことばかり強調してきました。ネットいじめや犯罪被害など、負の側面ばかり強調してきました。生活指導の一環として、しばしば体育館や講堂に児童・生徒を集め、外部の講師が講演します。
しかしそうした戒めとは違い、倫理は、「よいこと」と「悪いこと」との範囲を考えたり、よいことのためにするべき義務をも含んだ幅広いことを指しています。社会の規範はどのようなものか、それにはどのような根拠があるのか、これからどのような社会規範を作っていくのかを考えることです。
したがってAI倫理でいえば、よりよいAIとはなにか、よりよいAIの利用とはなにか、どのようなAIの開発・運営が社会をよくすることにつながるのか、AIを介して社会をよくするにはいかなることが求められるのか、AIが組み込まれた社会のガバナンスはどのようにしていくのかといったテーマも含まれます。
未来の倫理的創造性
私たちの社会は、すでにAI社会です。自分自身の創造性を深く考えると同時に、創造性を発揮してAI社会をよりよいものにしていく必要があります。いわば、私たちに求められているのは創造的な社会がこれまで以上に残酷にならないようにするための倫理的創造性なのです。
結論
生成AIの登場は、社会に大きな変化をもたらしています。その利便性を享受する一方で、倫理的課題に直面しています。これらの課題を解決し、よりよい社会を築くためには、倫理的創造性が不可欠です。教育者や研究者、そして一般市民一人一人が、創造性と倫理のバランスを取ることで、未来の社会をより良いものにしていくことができるでしょう。