ゲームの進化と未来のビジョン:久夛良木健氏の東京ゲームショウ2024基調講演
東京ゲームショウ2024の基調講演「ゲームで世界に先駆けろ。」
2024年9月26日から29日にかけて開催される「東京ゲームショウ2024」の公式ステージで、最初のイベントとして基調講演「ゲームで世界に先駆けろ。」が行われた。この講演は、プレイステーションからプレイステーション3まで開発を主導した「プレイステーションの生みの親」である久夛良木健氏が講師を務め、ファミ通グループ代表の林克彦氏がモデレーターを担当した。
伝説のハード、その始まりは「塩対応」
講演は、1994年にプレイステーションが発売された話ではなく、その前年の1993年3月頃の出来事から始まった。当時、久夛良木氏はプレイステーションの企画立ち上げメンバーとともに、100社近くのゲームメーカーを回り、熱い想いを共有しながら、ゲームハードに対する期待を忌憚なく聞くべく尽力した。しかし、その結果は「塩対応」だった。
どの会社でも「おやめなさい」、「どこも同じことをやっているけどダメ」などの厳しい意見が寄せられた。他社だけでなく、ソニー社内でも成功するとは誰も考えていなかった。失敗すると考える理由も様々だったが、久夛良木氏はそれらがサジェスションに富んだ内容で、非常に勉強になったと振り返る。
未来への挑戦
当時、久夛良木氏のチームは、5年、10年どころか20年、30年先まで、ゲームのテクノロジーがすごい勢いで進化すると考えていた。その進化についていくのではなく、自分たちがけん引していこうという熱い想いがあった。そのため、各社に企画のプロトタイプを伝えて回ったが、ほとんど塩対応に終わった。これは、各社が10年、20年先を見据えたような想いに至っていない証拠でもあり、逆にうれしい要因でもあった。
当時のゲームはまだ子どもの手に届く「玩具」であり、既存のパーツから作られているようなものだった。開発環境のPCもパワーがなく、そう変わるものではないという固定概念がはびこっていた。アーケードゲームを作る人は家庭用機に興味がなかったりと、セグメントも分かれていた。
「コンピューターエンタテインメント」の夢
久夛良木氏のチームは、当時のアーケードゲームの限界に一石を投じたかった。コンピューターの劇的な進歩を、さまざまな分野で使えるものと予想し、新たなドメインを生み出すことを夢見た。ゲームではなく、「コンピューターエンタテインメント」を作りたいと考えた。ここでいうエンタテインメントは、ゲーム開発者だけでなく、映像クリエイターなどさまざまなエンタテインメントの従事者が一緒に熱狂し、作り上げていくものを理想としていた。
ハリウッドとの比較
当時のエンタテインメントの最先端はハリウッドだった。映画『トータル・リコール』では、1台数千万円もするワークステーションをベースに、ノンリアルタイムで映像を作っていた。ソニー・ピクチャーズエンタテインメントでも、1本の映画を作るために1年、2年と延々とレンダリング作業が続いていた。それがいまや、リアルタイムで動く映像が作れる時代である。誰がこれを予想できただろうか。
リアルタイムの挑戦
久夛良木氏たちは、ゲームはリアルタイムにインタラクトできることが条件であり、コントローラーを触ったらすぐに技が出たり、すぐに視点が変わったりする必要があると考えた。当時の風潮的に、誰にもできないと考えられて当然だった。できたとしても、せいぜいCD-ROMに画像を焼きつけ、紙芝居のようにめくっていく程度だ。ならば自分たちがリアルタイムに動かせるコンピューターを世界で最初に作ろうと動き始めたのが、初代プレイステーションのプロトタイプである。演算などの面で「リアルタイムに近い」程度ではダメ。ハリウッドが1億円出してもできなかったことへの挑戦だった。
世界を10年単位で早めた
社内だけでなく世界各地の技術者たちと協力し、プレイステーションのプロジェクトは動き出した。まだ周囲は疑念の目を向けていたが、プロトタイプで作ったビデオをナムコに持ち込んだところ、「これが動くんですか」といきなり身を乗り出して見入ってきたチームがあった。その後、秘密保持契約などを改めて結び、より深い話をしたところ、「うちのアーケード基板を全部これに変えたほうがいい」とまで言わしめた。コストが安いうえ、アーケードゲームがそのまま平行移動で家庭用機で遊べるようになるといった、絶大なメリットを見出されたのだ。これがきっかけとなり、一部のゲームソフトメーカーの間で「とんでもないことが起こりそうだぞ」という噂話が広がり始める。
『リッジレーサー』や『鉄拳』の誕生
この話が『リッジレーサー』や『鉄拳』(1994年/ナムコ)の誕生につながっていった。ハリウッドのとある映像クリエイターは「これは時代が10年早まる」と評し、ほかにも多くの分野のクリエイターたちがプロジェクトに合流。ゲーム開発会社からも「ぜひ作ってみたい」と申し出てくれる会社が増えていった。説明にビデオや写真だけを用いるのは怪しさが出てしまうとして、各メーカーを講堂に招待して4台のプロトタイプ実機でのデモプレイも実施した。
デモプレイの衝撃
デモプレイの後、よくしゃべる人が多いはずのゲームクリエイターが全員黙り込んだまま帰ったのを見て失敗かと思ったところ、翌日から問い合わせの電話が殺到。当時のJAMMAショーでセガが『バーチャファイター』を発表し、リアルタイム3Dグラフィックをこの家庭用機が動かしているという理解が追い付いたことも追い風になった。
開発ツールの革新
開発ツールについても当時のナムコと相談してオープンライブラリやマニュアル、ソースコードを用意するなど、それまでになかった施策もここで初めて行われた。『闘神伝』(1995年/タカラ)が発売されると、さらに世間に衝撃が走った。同作のヒロインであるエリスの衣装や、地面にしっかりとテクスチャーが付いていること。このタイトルが7、8名によって数ヵ月で開発されたこと。そして発売がプレイステーションの発売からたった1ヵ月後であったこと。何もかもが衝撃的すぎた。
ゲーム開発の変化
プレイステーションでのゲーム開発は難しくないのではないか。当時はゲームといえば2Dと考え、3Dでゲームを作るのに意味を見出せなかった開発者も多かったが、さすがにじっとはしていられなくなった。社長がまだ静観していても開発者が『パラッパラッパー』(1996年/七音社/ソニー・コンピュータエンタテインメント)を作り出すなど、各社の社内からつぎつぎと手が挙がった。
発売日の前夜祭
1994年12月3日のプレイステーション発売日の前日には、ゲーム開発関係者を集めての前夜祭も開催。当日になると、新宿や秋葉原で2日間並ぶ長蛇の列ができているという連絡が入る。その行列を見た久夛良木氏やゲームクリエイター諸氏は、感動に震えた。
プレイステーション2の時代
その後、一般開発者をも巻き込む一大企画なども展開しつつ、プレイステーション2の時代が来る。さらにリアルタイムで処理できる流体力学などの描画要素が充実し、世界中にふたたび衝撃が走る。結果、あらゆる名作ゲームが世界中からプレイステーション2へと集まり始めた。
プレイステーション3の進化
加速はまだまだ止まらない。プレイステーション3では物理演算のリアルタイム処理機能が爆発的に向上。よりリアルな世界を計算可能になった。プレイステーションの進化は、当初のチームが目指した通り、留まるところを知らなかった。
エンタテイメントの変化
いまは当たり前に見えるかもしれないが、当時はこれをリアルタイム演算で動かしているなどと信じる人のほうが少なかった。こうして圧倒的な表現力を手に入れたことで、ゲーム開発は子どものためというより、自分たちが遊びたい、大人たちが楽しむエンタテイメントへと変化していった。PCが高性能化していったことも手伝い、PCゲームとの融合も進行していく。
プレイステーション4の時代
プレイステーション4の時代に入ると、大人向けのエンタテイメントという側面はさらに加速。2020年の時点での調査では、コンピューターゲームプレイヤーの平均年齢が34歳まで拡大した。加えて老人世代でもプレイするのが当然の娯楽となり、世代、性別を問わないエンタテイメントとなった。
市場の拡大
あらゆるエンタテイメントを、市場や金額の面でもゲームは凌駕するに至った。久夛良木氏はここまで市場が拡大したことに感謝を述べたが、林氏からはこれも1994年に久夛良木氏たちが動いてくれたからこそと賞賛した。久夛良木氏は自分たちは時間を数年早めただけだとも述べたが、そうだとしてもここに至るまで、何十年分を加速したのか想像もつかない。
未来への展望
ゲームはプレイするものであると同時に、作るものとしても世界に広がり、いまや世界中のゲームスタジオからメガヒットタイトルが生み出されている。若い開発者たちがこれだけすごいゲームを作り始めていることに、久夛良木氏は彼らがつぎの時代を引っ張ってくれることを確信した。
つい最近、素晴らしいセールス記録を叩き出した『黒神話:悟空』。開発会社Game Scienceのデビュー作であるという点も驚きだ。
つぎの進化
では、つぎに待っている進化とは何か。久夛良木氏が思い描くのは、「リアルタイムコンピューティング」の時代だ。生成AIが自然言語を話しながら、かつリアルタイムでさまざまなものをつくるというのは、インタラクティブかつエンタテイメント以外の何物でもない。
ハードの進化とともに、ゲームジャンルもさまざまなものが融合していく。あらゆるものが計算可能になることで、やがては当講演を配信で見ている人も、モニター越しでも目の前の講演者の存在を感じ取れるような時代も来るかもしれない。Zoomなどの通話ツールもまだまだ20世紀の概念であり、生成AIなどが関わることで、すべての計算可能な世界はより進化していくという。
未来のビジョン
かつての映画『2001年宇宙の旅』では、現代にある技術がいくつも描かれており、制作陣が未来人だったのではと疑うほどだった。そんな同作に登場する「モノリス」をAIとするなら、人類に4度、爆発的な進化をもたらす。その4度目ではAIと融合した超人類が生まれるが、久夛良木氏はまさに現代はその段階にあると述べた。
人間とAIが融合する時代になり、リアルの世界がすべて計算可能になる。計算可能な世界は実際にはリアルではなくてもよく、ファンタジー世界でも、ゲームの世界でも、時間軸を超えた世界でもいい。人間がそれぞれ違う脳や考えかたを持つように、AIがそれぞれ個性を持ってもいい。そんな世界こそが、久夛良木氏が夢も含めて思い描く未来だという。
未来へのメッセージ
講演の最後には久夛良木氏から、現代のゲームクリエイターや次世代のクリエイターを目指す人たちに向けて、いまのチャレンジ、イマジネーションのものすごさを賞賛するメッセージが贈られた。同時に配信を見ている視聴者に向けても、「皆さんがこれからの未来を作るんですよ」と期待を込めたメッセージを発して結びとした。
氏が確信し、思い描いている未来がこうして我々にも共有されたいま、この世界がリアルになっていくビジョンも共有されたかと思う。我々を待つ未来は、どれだけワクワクできるものになるのか。いまはひたすらに想像して楽しみにしたいところだ。