【勝負の瞬間】小久保監督の大胆な起用が中村晃に勝利をもたらす

【勝負の瞬間】小久保監督の大胆な起用が中村晃に勝利をもたらす

ソフトバンクの小久保監督が優勝を決めた夜、勝利の祝賀ムードを落ち着かせ、「騒ぎたいのは分かるけど、少々お待ちください」と語った。彼が振り返ったのは、この一戦のことだった。

「今日のポイントは、今年からスタメンが少なかった中村晃に初めてバントを出してドキドキした。失敗したら流れが変わると思ったが、見事成功。その後、柳町が絶対打てと。絶対(中村)晃のバントを無駄にしないように、あそこで勝負あった」

23日、オリックス戦(京セラドーム)で4-2とリードしていた5回無死一、二塁の場面で、「5番・DH」の中村晃がバントを成功させ、この回に決定的な3点が入った。

今季、山川のFA移籍もあり、23年まで一塁で4年連続ゴールデングラブ賞を受賞したベテランの中村晃は、レギュラーから外され、代打の役割に回った。環境の変化に対応できず、成績は低迷したが、小久保監督の信頼は揺るがなかった。

9月中旬、不動の5番だった近藤が右足首の負傷で離脱。小久保監督は18日の日本ハム戦から中村晃を5番に据えた。最初は結果が出ず、批判もあったが、22日楽天戦の試合前、小久保監督は「どっしりしといてくれたらいい」と中村に語りかけた。若手の5番であれば重圧に負けることもあるが、経験豊富な中村なら乗り越えられるという信念があった。

ダイエー時代の99年、前半戦で絶不調だった「4番・小久保」は交代を直訴したが、王監督は首を縦に振らなかった。理由は「代わりの選手が崩れるのが嫌だった」。チームで複数の選手が調子を崩すことを避けるための措置でもあり、その年、ダイエーは初優勝を果たした。

25年前にプレッシャーを一身に背負った小久保監督は、今回、中村晃にそのプレッシャーを背負わせた。試練は乗り越えられる者にしか与えられない。四半世紀の時を超え、このチームに芽吹き、育った伝統の一端を見た気がした。