大山のぶ代さん、90歳で逝去 「ドラえもん」26年務めた声優の巨星が消える

大山のぶ代さん、90歳で逝去 「ドラえもん」26年務めた声優の巨星が消える

大山のぶ代さん(本名・山下羨代=やました・のぶよ)さんが9月29日に90歳で老衰のため亡くなったことが、所属事務所から発表された。

今年に入ってから体調を崩しがちで、入退院を繰り返していた。最後は9月19日に再入院し、静かに旅立った。晩年は認知症を患っていたが、食べることが大好きで、施設のスタッフが「ご飯ですよ」と声をかけると笑顔を見せていたという。

大山さんは1933年10月16日、東京都に生まれた。幼少期から個性的な声を持っていたことで知られ、役者を目指し、俳優座養成所の第7期生として入所。1956年にNHKドラマ「この瞳」でデビューを果たした。

養成所を卒業後、1957年に劇団新人会に入団。そのハスキーボイスが注目され、同年9月に「名犬ラッシー」の吹き替えで声優としてデビューした。

1979年にはアニメ「ドラえもん」の主人公・ドラえもんの声を担当し、26年間務めた。この役で日本を代表する声優となった。また、「サザエさん」では初代磯野カツオ役も担当し、アニメ黎明期を支えた。

2001年に直腸がんが発覚し、「ドラえもん」以外の仕事をすべて降板。その後、入院を機に「ドラえもん」からも降板した。

2010年には、アクションゲーム「ダンガンロンパ」で謎のぬいぐるみ型学園長「モノクマ」役を務め、5年ぶりに声優として復帰。人生初の悪役を演じ、話題を集めた。

声優の他、女優としても活躍し、映画「思えば遠くへ来たもんだ」やドラマ「水戸黄門」「破れ傘刀舟悪人狩り」などに出演。また、料理研究家としても知られ、TBSで「大山のぶ代の料理朝一番」という冠番組を持ち、料理を披露した。のちにムック本にもなった。さらに歌手、脚本家、エッセイストなど、幅広く活動した。

私生活では1964年に番組共演が縁でタレント・砂川啓介さんと結婚。2人はおしどり夫婦として知られ、砂川さんは「カミさんはドラえもん」などの著書を上梓した。2015年5月には、砂川さんが会見を開き、大山さんが認知症を患っていることを公表。壮絶な介護生活をつづった「娘になった妻、のぶ代へ」では、夫婦対談で「病気の君を置いて先には死ねないよ」と伝えていたが、2017年8月に砂川さんは大山さんを残して亡くなった。