松山ケンイチが『虎に翼』で演じる桂場等一郎:最高裁判所長官の内面と挑戦

松山ケンイチが『虎に翼』で演じる桂場等一郎:最高裁判所長官の内面と挑戦

松山ケンイチが演じる桂場等一郎 連続テレビ小説『虎に翼』

NHK総合で毎週月曜から土曜の午前8時15分に放送されている連続テレビ小説『虎に翼』で、松山ケンイチさんが最高裁判所長官・桂場等一郎を演じています。この役について、松山さんにインタビューを行い、桂場に込めた思いや、桂場を演じて感じたこと、学んだことを伺いました。

ついに最終週を迎えますが、ここまで演じられて桂場の印象はいかがですか?

桂場のモデルとなった方は幼い頃から剣道をされており、武道に深く携わってきた方です。そのため、桂場を演じる際には武道の精神や武士の精神を取り入れようと思いました。また、『どうする家康』で本多正信を演じていた経験を活かし、男性社会での立ち振る舞いや生き方、考え方などを桂場に反映させました。

桂場は司法の独立に強いこだわりを持っています。厳格さや覚悟、物事を一貫して考え続ける姿勢が特徴的です。司法の独立は非常に難しい課題であり、三権分立を実現するためには戦いが必要だと考えています。その結果、桂場の厳格さが際立っていると思います。

桂場を演じていてご自身と似ているところや違うところはありましたか?

私は桂場ほど多くのことを考えながら生きているわけではありません(笑)。常識やルールを受け入れつつ、その中で自分自身が心地よく、幸せに生きていくことを考えています。法律自体を変えるような行動や、自分の意見を言って波紋を広げるような生き方ではありません。ある意味、私は非常にゆるい人生を送っていると感じています。

しかし、桂場の厳格さの中にも、団子が好きだったりする部分があり、その点は人間として似ていると感じます。花岡悟(岩田剛典)は法を守るために餓死しましたが、桂場はそこまでではありません。どこかで線引きをしており、その感覚は現代社会を生きる上で必要不可欠だと理解できます。

作品の中で桂場はどのような役割を担っていると思いますか?

桂場の先生である穂高重親先生(小林薫)は「男性も女性も法について考えることが大切だ」という考え方を提唱していました。寅子(伊藤沙莉)はこの考えに影響を受け、法の世界に入りました。桂場はこの理想論を批判していましたが、実際にはその理想を最も追求している人物の一人だと思います。

法の問題は単一のトピックではなく、様々な法律や権利が絡み合っています。その考え方は時代とともに古くなり、桂場が取り組んでいるのは、古い考え方や価値観を現代の解釈とどうすり合わせていくかです。一方、寅子は家庭裁判所から何かを変えようとしています。2人が目指す変革の範囲やトピックは全く異なりますが、桂場は一人の人間であり、全ての問題を一人で解決することはできません。頼れる人が少ない中、司法の独立を追求するためには、様々な問題をジャッジしなければなりません。

その結果、桂場は法曹界の人間を切り捨てる場面も描かれています。これは正しいかどうか判断することは難しいですが、最終週に向けて、理想と理想のぶつかり合いがより多く出てきます。寅子からすると、桂場は法曹界の敵に見える瞬間もあります。その中で、桂場なりの戦いが展開されると思います。

普段仏頂面なのに意外なところでニヤッと笑ったりする桂場。松山さんが演じたからこそ面白い桂場になったと主演の伊藤沙莉さんがおっしゃっていましたが、桂場を演じたことで得たものやいい経験になったなと思ったことはありますか?

脚本、演出、共演者の皆さんのおかげで、桂場というキャラクターが面白く演じることができたと思います。桂場は普段から仏頂面で、自分の心情を説明するような人ではありません。最初から「女性は男性よりも勉強しないとだめだ」というような発言をしていたため、人をあおっているように感じていました。しかし、それが背中を押す役割にもなっていると思います。

桂場は意地悪な印象を与えることもあります。その表現方法をどのように広げるかを常に考えながら演じていました。仏頂面が基本ですが、その中でどこまで崩して、どこまで遊ぶかを模索しました。

伊藤沙莉さんの印象はいかがですか?

伊藤さんは主演として毎日撮影に挑んでいますが、電池切れのような状態が全くないのがすごいと思います。私も大河ドラマで経験していますが、電池切れになると役の方向性が迷子になったり、修正することすら考えられなくなることがあります。しかし、伊藤さんは役を演じる上で迷いがなく、朝ドラの特徴である役の年齢や立ち位置、環境の変化を迷いなく演じ分けています。その体力と集中力には本当に感心します。

松山さんはXでもオフショットなど写真を投稿されていて注目されていますが、視聴者からの反響で意外だったものはありますか?

私は小道具を使うのが好きで、小道具を通じて様々な表現ができると思っています。現場で様々な試みをしていますが、誰も気づかないだろうと思っていたことが気づかれていたり、視聴者の方々がしっかりと見てくれていることを実感しました。それは嬉しい反面、怖さも感じました。画面に映る全てが表現につながるため、指先まで何を表現すべきか、表現したくないものは止めるべきかを常に考えさせられました。SNSの皆さんから、身体全体で役を表現することの怖さや大切さを学びました。

最後に、最終週の見どころをお願いします。

長い間演じさせていただいた桂場は、私にとって非常に大切なキャラクターです。役に対して自分の理想を込めてしまう傾向があり、法曹界の人間でもない私が、法や人権、権力に対して戦う人間がどうあるべきかを桂場のキャラクターに反映させました。

人間は地球全体や日本全国民を見ることはできません。様々な苦しみや喜びがあり、地域によって文化も異なる中で、日本全国の一律の法律を作ることは非常に難しいことです。最高裁長官として、その中で正しいことや間違ったことをジャッジすることは非常に難しい課題です。時代とともに正しさや間違いは変わりますが、人間が間違いを犯すことは当然であり、その間違いから何が間違っていたのかを議論することが重要です。

このドラマは、たくさんの登場人物を通じて、そのようなテーマを伝えています。認める、認知することも大切ですが、認めた後どう付き合っていくのか、対峙していくのかが、人権を大切にするということだと思います。私はこのドラマから多くのことを学びました。

重い話の中にも、現場では皆さん繊細に演じる部分とコミカルに演じる部分があり、人間の優しさを感じられるドラマになっています。最後まで見届けていただければと思います。