「演歌の旅人」水森かおり、デビュー30年目の挑戦と全国制覇への野望
演歌歌手の水森かおりがデビュー30年目を迎えている。20年以上にわたって全国各地を舞台にした曲を歌い続けてきた「ご当地ソングの女王」として知られている。
水森は、30年間の歌手生活について「正直、そんなにたつんだ、みたいな感じ」と振り返る。NHK紅白歌合戦に初出場してからの20年間は「あっという間だった」という一方で、デビュー後の10年間は「つらいことばかりではなかったけど、ずっと楽しいことばかりでもなかった。涙を流すことの方が多かったかな」と葛藤の日々を語った。
仕事がなく、家で過ごす時間も多かった時期もあった。「事務所に内緒でアルバイトしようかなって考えたこともあった」という。デビュー時は22歳で、同世代は社会人として羽ばたいていく時期だった。何もしていない自分にどん底を感じたが、「父も母も心配していたと思うけど、『どうなってるの?』とか一切言われなかった。ずっと黙って見守ってくれていた」と家族の支えに助けられた。
デビュー当時、誰も自分の歌を聴いていないステージで父に愚痴を言ったことがある。「父に『目はお前の方を向いてなくても、耳は絶対にお前の歌を聴いている。どんな場所でも、どんな状況でも、どんな人数でも、そのお客さんのために精いっぱい歌いなさい』って怒られたことがあって」と、その言葉を胸に、どんな小さな会場でも気持ちを込めて歌うようになった。
紅白初出場につながった「鳥取砂丘」など、45都道府県を巡ってきたご当地ソングは、アルバム曲を含めて数多く残している。中でも印象的だったのは、2005年に発売した「五能線」の現地に足を運んだ時。「『何とも思ってなかった、生まれた場所の素晴らしさを認識できました』って言っていただいて」。各地の曲を歌うことで、その土地の魅力に気づかせることができた瞬間だった。
ご当地ソングを歌い続けて20年以上。「やりがいと同時に、同じことを続ける大変さがある」と口にする。それでも、「弦哲也先生が『方向転換する方がよっぽど簡単。そこをあえて行かないのが水森かおりだし、俺はその道をずっと支え続ける』と言ってくださった。そういうスタッフの方の気持ちにも応えたい」と、この道で生きる覚悟を決めている。
日本中を縦横無尽に駆け巡るご当地ソングは、02年以降、恋に破れた女性が旅をする一つのストーリーとして続いている。その女性の結末はまだ不明だが、「なかなか成就しないですよね。でも、成就しないからこそ良いっていうのはありますよね」と笑い飛ばした。
独り身を貫いて51年。失礼を承知で「曲のために結婚していないんですか?」と問うと、「意識してではないですよ。ご縁がないだけで…。でも、結婚してハッピーな人が、恋に破れた曲を歌っても説得力ないじゃん」と笑い飛ばした。
47都道府県制覇まで残るは徳島と福岡。「地元の皆さんも待っててくださっているので、やっぱり制覇したい。ここまで来たら福岡と徳島の歌も欲しいし、全部歌ってみたい」と意気込んだ。
今後の目標について聞かれると、「デビューした時に、自分と同年代の人が抵抗なく聴ける演歌を歌える人であったら良いなと思ってたんです」。優しい笑みを浮かべ、「水森かおりを通して演歌も良いなとか、水森かおりの歌なら聴いていたいなとか、心地いいって感じてもらえたらな」と語った。
「全国制覇」を成し遂げるため、一人でも多くの人の耳に演歌を届けるため、水森の旅は続いていく。