「ジョーカー」の驚異的大ヒット:ダークヒーローと社会の闇
2019年に公開された映画「ジョーカー」は、未曽有の大成功を収めた。世界興収は10億7895万ドル(当時のレートで約1187億円)を記録し、5年間R指定映画の歴代1位を守り続けた。ベネチア国際映画祭では金獅子賞を受賞。第92回米アカデミー賞では最多11部門にノミネートされ、ホアキン・フェニックスが主演男優賞、ヒドゥル・グドナドッティルが作曲賞を受賞した。
監督のトッド・フィリップスは、この成功を「まったく予想していなかった」と驚きを語っている。フィリップスは「ハングオーバー」3部作などでコメディーのフィールドで活躍してきたが、ネット世論の影響が増大する中、コメディー映画の居場所がなくなったと感じ、異なる路線を模索していた。そこで思い浮かんだのが、アメコミ映画の文脈にマーティン・スコセッシ風のリアルな人間ドラマを持ち込むことだった。
DCコミックスのバットマンの敵役として知られるジョーカーは、ピエロのメークで素顔を覆い隠すサイコパスな犯罪者として描かれてきた。1989年のティム・バートン版「バットマン」ではジャック・ニコルソン、2008年の「ダークナイト」ではヒース・レジャーが演じ、それぞれ大絶賛を受けた(レジャーはアカデミー助演男優賞を受賞)。
しかし、映画「ジョーカー」で描かれたのは、これまでとは異なるジョーカー像だった。アーサー・フレックというコメディアン志望の売れない道化師が、6人の人間を殺害する。アーサーはプロの犯罪者でもなく、裏社会を牛耳ろうともせず、一介の庶民が行き当たりばったりに凶行に及んだに過ぎない。しかし、アーサーは期せずして庶民の英雄として祭り上げられた。地下鉄で絡んできた3人の男を殺害したことが、被害者が富裕層だったことから、疲弊した下層の庶民たちから支持を得たのだ。
「ジョーカー」には、マーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」が大きな影響を与えている。両作品はロバート・デ・ニーロが主演し、「タクシードライバー」は孤独なベトナム帰還兵が大統領候補の暗殺をはかり、売春婦のポン引きを殺害して世間から英雄扱いされる物語。「キング・オブ・コメディ」はコメディアン志望の主人公が、テレビでネタを披露するために人気番組のホストを監禁するブラックコメディーだ。
「ジョーカー」のアーサーは、「タクシードライバー」のトラビス・ビックルと「キング・オブ・コメディ」のルパート・パプキンをかけ合わせたようなキャラクターで、スコセッシとデ・ニーロが生み出した倫理的にアウトな人物像をそのままアメコミ映画に移植したものだ。「ジョーカー」の舞台ゴッサムシティーは架空の街だが、70年代から80年代初頭のニューヨークを描写しており、スコセッシ作品のルックとも非常に似通っている。
「ジョーカー」は、予期せぬ現実社会との結びつきを示した。広がり続ける貧富の格差、医療の逼迫や福祉の削減、脅かされる安全、政治不信や庶民感情の悪化は、社会的弱者を戯画化したアーサーというキャラクターに大きな共感性をもたらした。これはアメリカだけの話ではなく、日本でも50億円を超える大ヒットとなった。ホアキン・フェニックスが演じたジョーカーは、過去のジョーカーたちのような悪のカリスマではなかったが、誰よりも身近な負け犬として観客とコネクトできた。
監督のフィリップスは、映画「ジョーカー」でアーサーが祭り上げられるプロセスを皮肉をもって描いている。これは1984年12月22日にニューヨークの地下鉄で起きた実際の事件をモデルにしている。バーナード・ゲッツという白人男性が未成年の黒人男性4人に違法所持の拳銃で発砲し、相手に重傷を負わせた。ゲッツは逃亡後、9日後に自首し、一躍時の人となった。当時のニューヨークは治安悪化が深刻化しており、ゲッツの行動には擁護派と非難派が分かれ、世論は荒れた。刑事裁判では銃の不法所持を除いて無罪となったが、民事訴訟では敗訴している。
フィリップスは、この事件をリアルタイムで知っていた。大衆がヒーローを求め、他人の思惑が交錯し、実像からはかけ離れていく様子を皮肉に描いたが、映画の空前のヒットによって、その皮肉は軽んじられてしまった感がある。
「ジョーカー」が暴力を肯定し誘発するという批判にフィリップスは戸惑いを隠さなかったが、現実の世界でジョーカーをクールなキャラとして受け入れるファン層が生まれたことは、この陰鬱な物語が広範な支持を得て、未曽有の収益をあげたことが証明している。
5年ぶりの続編「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」は、前作「ジョーカー」が生んだ社会現象に対するフィリップス監督なりのアンサーに思える問題作だ。前作ではどこまでが幻想でどこまでが現実かが意図的に曖昧にされ、観客それぞれが自由に受け取れる余地が作られていた。しかし「フォリ・ア・ドゥ」は、まったく違うアプローチでアーサーのその後を描いており、前作のファンの気持ちを逆なでしかねない挑戦的な姿勢が、どのような反応を呼ぶのか、今から楽しみでならない。